「鈍感力」

渡辺淳一の「鈍感力」(集英社)が売れているそうだ。
この小説家は男女の機微を描いた作品が多くファンも多いが、今回のタイトルはいつもの小説のニュアンスとは違うので、不思議に思っていた。妻がこの本を買っきて読んだあと、「どんな本なんだ?」という私の問いかけに「そうねえ。女性の鈍感力以外のところは、お父さん(最近はそう呼ばれている)のことを書いているようです」との答えだったので、早速読むことになった。

渡辺淳一の主張は「いい意味での鈍感力」を持てということである。それを裏付ける例を挙げながら主張を展開していき、最後は女性は子どもを産むために鈍感に生まれついていて、その鈍感力の最大のものは母性愛であると締めくくる。

渡辺淳一は、叱られ続けてもへこたれない、強くて鈍い体、鈍い腸、雑然とした部屋、環境適応力といった要素と事例を挙げながら鈍感力を説明していく。
確かに妻の言うように、新入社員時代から20代までの若い頃はよくミスを連発したが上司からみると怒りやすいタイプだったようで、よく叱られていた記憶がある。
大学時代に探検部で鍛えたせいだろうか、仕事量が多いのも平気だったが、30代の半ばの頃に人使いの荒いことで有名な上司があるとき「おまえ、丈夫だなあ」とあきれたように声をかけられたことがある。そのときは「わたし、丈夫なんです」と笑いながら答えたことがある。
独身時代、大食いだったこともあり昼の定食を一度に2回食べていたりしたが、「腹をこわしたことがない」ことが自慢で、同僚の女性社員からは「アイアンストマック(鉄の胃袋)」とあだ名されていた。
部屋の汚さも有名だったが、特に社会人となったら時間の無さにショックを受けて、自分を磨くこと以外の生活のための掃除、洗濯、入浴などは最小限で済ますという方針を立てたので、それもしかたのないことだった。ある人から「汚な好き」といわれたことがあったが、「わたしはきれい好きなんです。でも掃除がきらいなので、汚くなっているのです」と返事をしたこともある。
サラリーマン時代には10回ほど転勤や仕事の変更があったし、大学への転身という大きな変化も何とか乗り切ってきたから、環境への適応力はまあまああるほうだろう。

ここまで鈍感力を考察してきたが、渡辺淳一はもう一つ条件を挙げていた。それは「図にのる才能」である。人から褒められたら、「その本人がその褒め言葉に簡単にのる、この図にのる、調子のよさは、いわゆる、はしたないことではなく、その人を大きく、未来に向かって羽ばたかせる原動力となるのです。」とある。
そういえば、これもあたっている気がする。

よく考えてみると「図にのる才能」という言葉も味わい深い。図の本を書き、図を使ってプロジェクトを遂行ししている今のわたしは確かに「図」という武器の上に乗っている。この章の扉には図という文字を斜めにしたイラストがあり、その角の上に人物がバランスをとりながら手を振っている姿が描いてある。まさにこの鈍感な人は「図」に乗っているのだ。

さて、わたしはもちろん鈍感で過ごしてきたが、よく考えると周りが敏感、過敏であったならば、トラブルの連続だったろうという気はする。そう考えるともっとも鈍感力が備わっていたのは、家族や同僚などの周りの人々だったのかも知れない。