「ノンちゃん雲に乗る」(石井桃子)

「ノンちゃん雲に乗る」を久しぶりに読んでみた。

東京府の菖蒲町の8つになるノンちゃんという女の子の物語。
ある朝起きたらお母さんが親戚の家に行ってしまっていたので泣きながら歩いていて、大きな大木に行き着きました。その木に登って見ると、水たまりに雲が浮かんだ空が深く映っています。ノンちゃんは思い切ってその空に中へとんでみたら、ふわっと空中に浮かんでしまました。そして雲の上にいるおじいさんと出逢います。そのおじいさんにノンちゃんは身の上話をすることになりました。
ノンちゃんはお母さんが大好きです。お母さんは先生であり友達でもありました。お母さんに名前があることは不思議でした。
ノンちゃんのにいちゃんはノンちゃんより二つ上です。自動車を止めようとするわるさをしたとき、お父さんは「かってなことをやっていたら、ほかの人がこまる」とこぶしでぶちました。
このお兄ちゃんはノンちゃんに意地悪をします。ノンちゃん成績がよくいつも全甲ですが、お兄ちゃんはそうではありませんが算数がよくできます。いたずらっ子ですが、雲のおじいさんはこのお兄ちゃんを気に入っています。
親孝行で、友達に親切で、先生のいいつけをよく守り、成績がよいというノンちゃんを、おじいさんは、そういう子は気をつけないとしくじると忠告します。「ひれふす心」がなければ勉強はできても、えらくはなれないというのです。
ふと目が覚めるとおかあさんとおばさんが泣いてすわっていました。ノンちゃんは木から落ちて怪我をしていたのでした。
雲の上であったお話を誰も信じてくれませんが、お医者さんは雲上大旅行の話を聞いてくれました。
ノンちゃんは空に落ちて、雲に乗った後、女学校を卒業してその上の学校に行っています。お医者さんになるのです。
その頃戦争が始まっていました。にいちゃんは、いつのまにか「にいさん」になっていました。そして男を待っている難関を黙々と突破していました。大きくなって兵隊になるまで戦争が続いました。本当ににいさんたちは本物の銃をとり、飛行機に乗るということになりました。同級生だった長吉は兵隊に行ったきり帰ってきません。

こういう物語だった。
この物語はこどもたちが戦争に行くような国になってはいけないということを述べた童話であるようだが、ノンちゃんというこどもの目を通してこどもの見ている風景がよく描かれている。
しみじみとして、こころあたたまる、そして深く考えさせる物語だ。本当に久しぶりにこの本をなつかしく読んだが、優れた創作児童文学であると思った。戦争中に書いたのだが、忠君愛国の話のない作品はどの出版社も相手にしてくれなかった。戦後、ようやく出版にこぎ着けたのだ。

この作品は多くの人に読まれたが、後に映画となってヒットする。ノンちゃん役は鰐淵晴子、お母さん役は原節子、お父さん役は藤田進、おじいさん役は徳川夢声という配役である。バレエ振付は谷桃子、そして原作は石井桃子だ。
ノンちゃん雲に乗る (福音館創作童話シリーズ)
浦和高等女学校を卒業した石井桃子は、日本女子大に入学する。大学のすぐ裏に菊池?が住んでいたこともあり、在学中から菊池のもとで外国雑誌や原書を読んでまとめるアルバイトをする。
大学卒業後、菊池?の文藝春秋社に入社。時の首相犬養毅の書庫の整理にあたる。5/15事件で犬養首相が暗殺されたとき、信濃町の私邸にかけつける。
文藝春秋社を退社。犬養邸で西園寺公一が犬養家の小どもたち(犬養道子、靖彦)へクリスマスプレゼントとして贈った「プー横町にたった家」の原書に出会う。
クマのプーさん」とミルンの2冊の童話集の原書を見つけ、犬養道子、康彦、病床にあった親友のために訳し始める。
新潮社に入社し、「一握りの砂」などを訳す。2/26事件の同年に新潮社を退社。
33歳、最初の単独翻訳書「熊のプーさん」(ミルン)を岩波書店より刊行。
1942年3戦争の息苦しさの中、35歳で「ノンちゃん雲に乗る」を書きはじめ翌年一応の完成をみる。
38歳、宮城県栗原郡鶯沢村で開墾、農業、酪農を始める。
40歳、「ノンちゃん雲に乗る」を大地書房より刊行。44歳、「ノンちゃん雲に乗る」を光文社より刊行し、芸術選奨文部大臣賞を受賞。