ペリー「日本遠征記」とマッカーサーの万年筆

富士山が美しい。

多摩キャンパスで、人事委員会、センター入試説明会、SRC(学生研究発表会)、新T−NEXT説明会。九段で、インターゼミ、樋口ゼミ卒業制作コンサート、飲み会、と今日は早朝から延々とイベントが続く。重なっているものもあったため、さすがに全部はこなせなかった。

インターゼミ(社会工学研究会)での寺島学長のミニ講義から。

  • 日本に影響を与えた二人のアメリカ人は、ペリー提督とマッカーサー元帥。この二人は似ている。
  • ペリーが議会に提出した「日本遠征記」(全3巻)を商業出版したサイン入り100冊のうちの一冊を入手した。前大統領フィルモアの添え書き。自作自演的事業。大西洋を廻りで日本へ。
  • マッカーサーミズーリ号で日本の降伏文書にサインしたパーカーの万年筆のレプリカを入手した。これは母の使っていた万年筆だった。「ママ、僕勝ったよ」。異常なマザコン。ペリーを意識。日露戦争時に父のお供で横浜グランドホテル宿泊、パイプをくわえて厚木に降り立った日はそのホテルに泊まった。40歳を超えて最初の結婚をするが5年で離婚。57歳で再婚し退役軍人としてフィリピン軍の顧問。日米開戦で蘇える。フリーメイスン
  • 何でも調べると裏がある。そこから知恵が出て来る。古本屋を歩いていると、しだいにわかってくる。そうでなければ虐げられる側になる。
  • 「日本遠征記」。松本健一「白旗伝説」。袖井林二郎マッカーサーの2000日」、「拝啓マッカーサー元帥様--占領下の日本人の手紙」。寺島実郎「20世紀から何を学ぶか(下)」。

(寺島「20世紀から何を学ぶか(下)」から。1880年生まれ。55歳で陸軍参謀総長を退任し、フィリピン自治政府軍事顧問。61歳、米国極東陸軍司令官として対日戦。役割肥大症。対日占領基本政策「日本を米国の脅威とならない存在、米国の目的を支持する存在」と明示。フリーメーソンマッカーサー記念館。)

文庫カフェで開催された「多摩大学樋口裕一ゼミ卒業制作コンサート--雪の魔法がかかるとき」を聴く。

ソプラノの森美代子さんとギターの松尾俊介さん。狭い会場で、一番前の席だったので、ソプラノ歌手とギター演奏を目の前で堪能した。
前の席の井川君はソプラノの声で筋肉が震えたとの感想を後で言っていた。樋口先生によると窓ガラスが割れるのではないかと感じることもあるそうだ。ギターはふーっと息を吐きながら演奏することがわかった。

以下、演目。
カッチーニアヴェ・マリア」、デラックア「ヴィネラル(牧歌)」、ドリーブ「カディスの娘たち」、北原白秋山田耕作「ペチカ」、「エストリータ(小さな星)」、武満徹「小さな空」、「クリスマスの歌」、カンシオン「聖母の御子」、「Have yourself a merry little Chiristmas」、「夜鳴きうぐいす」。

終了後、樋口先生、山本さん、井川君と近所の居酒屋で歓談。