60年前の1955年の本日(11月15日)、自由民主党が結成され保守合同がなる。
1955年の10月13日に、確執のあった左派と右派は社会党の再統一を果たした。
委員長は左派の鈴木茂三郎、書記長は右派の浅沼稲次郎。議席は衆議院で156。
右派委員長であった河上丈太郎は、左派の鈴木に委員長を譲り、自らは顧問となった。
これに脅威を抱いた自由党と民主党を中心とする保守勢力は、11月15日に合同した。総裁人事がまとまらなかったため、4人による総裁代行委員体制(鳩山・緒方・三木・大野)とし、1956年に鳩山が総裁に就任。反発した吉田・佐藤・橋本は当初入党しなかった。この3人は鳩山引退の後の1957年に自民党に入党している。
当時、三木武吉は10年、松村謙三は30年と自民党の寿命を予想したが、しだいに基盤を強化していくことになる。
当時は、自由民主党と社会党の二大政党制となると考えられていた。
この保革二大政党体制を55年体制と呼ぶ。
政党の合同・合併の構想実現には人事が重要であることがわかる。その成否は人事にかかっている。それは坂本龍馬の言う利害である。
合同時に退いた河上丈太郎は戦争責任を認めて「十字架委員長」と呼ばれていた。利害ではなく、出処進退を大事にした人物だろう。
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明治維新の立役者であった坂本龍馬が、1867年のこの日に京都河原町の近江屋で陸援隊長の中岡慎太郎とともに暗殺された。龍馬33歳、慎太郎30歳。
龍馬は誕生日に暗殺される。
坂本龍馬の名言をじっくりと味わいたい。
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パリでイスラム国(IS)による同時多発テロ。100名以上が犠牲に。
「名言の暦」11月15日
命日
- 坂本龍馬1867
- 事は十中八九まで自らこれを行い残り一、二を他に譲りて功をなさむべし。
- 人の世に道は一つということはない。道は百も千も万もある。
- 万事、見にゃわからん。
- 金よりも大事なものに評判というものがある。世間で大仕事をなすのにこれほど大事なものはない。金なんぞは、評判のあるところに自然と集まってくるさ。
- 慎重は下僚の美徳じゃ。大胆は大将の美徳じゃ。
- 時世は利によって動くものだ。議論によっては動かぬ。
- 世の既成概念を破るというのが、真の仕事である。
- 古来、英雄豪傑とは、老獪と純情の使いわけのうまい男をいうのだ。
- 中岡慎太郎1867:謙虚とは堂々として過信しないことだ。それは断じて卑屈であることではない。
- 伊藤整1969:真実な人間とは自己の青春を終えることのできない人間だと言ってもいい。
- 泉靖一1970:「極限におかれたために、眠りかかろうとする意識のさらに下層ではたらいている何物かの声」がでてきた。
- 孫基禎(ソン・ギジョン)2002:私は日本人ではない。日本人の朝鮮人に対する虐待は何なのだ。私は苦しめられている同胞のことを思って走った。それなのに、私のために日の丸が掲げられている。
生誕