「内田百けんコーナー」

行政マン研修の二日目。
本日も9時から17時まで。新幹線で深夜に自宅到着。
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昨日の昼休みにポケモンGO!で内田百けん記念講演を発見したが、この研修を行っている三光荘という建物に「内田百けんコーナー」があった。百けん先生の生家は見つからなかった。

1889年に岡山の造り酒屋に生まれる。18才、第六高等学校入学、21才、東京帝国大学入学。在学中に漱石の弟子になる。23才、初恋の人・清子と結婚。31才から44才まで法政大学教授。45才から文筆活動に専念。1971年逝去、82才。「百けん
」は、故郷岡山にある旭川の緊急放水路である百けん川から取ったもの。

迫り来る得体の知れない恐怖感を表現した小説や、独特なユーモアに富んだ随筆などを得意とした。後輩の芥川龍之介に慕われた。また、師である夏目漱石の縁故から夏目伸六と親交が深かったことでも有名。

法政大時代は航空研究会会長となり、学生を指導し、1931年には学生がローマまで飛行するプロジェクトを援助している。

岡山の六高に職を得ようとしたが、高校時代の遅刻グセが原因で拒否されるという逸話もある。

「春の海」などの作曲で知られる宮城道雄に師事。最初は師弟関係であったが、のちに二人は大の親友となり、彼との交流を描いた随筆は数多い。また、宮城道雄の著書には百輭指導のものが多い。

頑固偏屈かつわがままで無愛想な人。「官僚趣味」であるとも公言しており、位階勲等や規則秩序が好き。鉄道に関しては「目の中に汽車を入れて走らせても痛くない」というほど愛しており、代表的著作にも国鉄職員であった「ヒマラヤ山系」こと平山三郎をお供に、全く無目的、ただひたすら大好きな汽車に乗るためだけの旅行を実行した鉄道紀行「阿房列車」シリーズなどがある。

  • 「言葉のない音楽を聴いて出る涙は一番本物の涙だという気がする」
  • 「金持ちが貧乏人になるのはいい趣向ですね。しかし貧乏人が金持ちになるのはみっともない」

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「名言との対話」7月26日。小松左京

  • 「年代を超えた人のつながりをもっと強くして、知らないことやおもしろいこと、人間にとって大切なことに接するようにしないと、私たちの世代は子供の好奇心に追いつけません」
    • 小松 左京(こまつ さきょう、1931年(昭和6年)1月28日 - 2011年(平成23年)7月26日)は、日本の小説家。星新一筒井康隆と共に「御三家」と呼ばれる、日本SF界を代表するSF作家。1970年の日本万国博覧会でテーマ館サブ・プロデューサー、1990年の国際花と緑の博覧会の総合プロデューサー。『日本沈没』『復活の日』『エスパイ』『首都消失』『さよならジュピター』他、多数の名作を残す。
    • 「SFとは思考実験である。SFとはホラ話である。SFとは文明論である、SFとは哲学である。SFとは歴史である。SFとは歌舞伎である。SFとは音楽である。SFとは会談である。SFとは芸術である。SFとは地図である。SFとはフィールドノートである。」
    • プライドや地位、専門などのこだわらずに、好奇心を推力にしてあらゆる世代と付き合おう。そういう小松左京の原点が、SFの名作を生んだ。先に挙げた「SFとは、、、」は、世界のすべてがSFだという宣言だ。一つの分野には世界のすべてが入っている。