楽しみだ。
以下は、映像がないので書名だけ。
・『すてきなあなたに 3』(大橋鎮子)
・山口誓子『俳句十二か月』
・『永井道雄の 教育の流れを変えよう』
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「副学長日誌」180218
・梅澤先生:世代間交流
・久保田先生:小豆島合宿。ドローン、アクティブシニア、、。
・山本さん:今週のT-Studio録画の打ち合わせ
・高野課長:近況
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「名言との対話(平成命日編)」2月19日。トウ小平「改革・開放には大きな肝っ玉が必要だ。正しいと思ったら大胆に試してみよ」
鄧 小平(とう しょうへい、中国語読み:ドン シャオピン 、IPA:[tɤŋ ɕjɑʊ pʰiŋ]、1904年8月22日 - 1997年2月19日)は、中華人民共和国の政治家。
毛沢東が主導した文化大革命によって疲弊した中華人民共和国の再建に取り組み、「改革・開放」政策を推進して社会主義経済の下に市場経済の導入を図り、中国現代化建設の礎を築いた人物である。「黒い猫でも白い猫でもネズミを取るのがよい猫だ」「先に豊かになれる者から豊かになれ。そして落伍した者を助けよ」(「先富論」)など、豊かになることを目標に大改革を実行した。
トウ小平の人生はまるでジェットコースターに乗っているようだ。1931年、農村ゲリラを戦を重視する毛沢東路線に従っているとされ失脚、1935年復帰。1968年、文化大革命で「劉少奇主席に次ぐ党内第二の走資派」とされ南昌で労働に従事、1973年復活。1976年、江青ら四人組によって反革命動乱の首謀者として失脚、1977年復活。3度の失脚からその都度復活を果たした「不倒翁」であった。
文化大革命の時には牛小屋に入れられたがトウ小平は我慢していると文革の嵐は過ぎ去った。生涯を通じて楽観主義者であった。頭の回転が速く、眼光人を刺す如く鋭かった。毛沢東はトウ小平の人となりを「綿中に針を蔵す」と評している。
1992年にトウ小平は中国南部諸都市を訪れ、外資導入による経済建設を大胆に推進するよう力説(南巡講話)し、最後は反対する保守派に誤りを認めさせた。人民の生活を向上させるために、思い切った改革を行う契機となった。それ以降四半世紀、中国は大発展し2010年には日本を抜き世界第二の経済大国になり、2018年にはGDPは日本の3倍に迫る勢いであり、改革・開放を掲げたトウ小平路線の正しさが証明された。
身長150センチと体は小柄ながら、大きな肝っ玉で、改革・開放路線を大胆に掲げ、大きな号令で推進し、中国を豊かにした功績は計り知れない。この人の粘り強さと大いなる手腕には感銘を受ける。