粕谷一希『生きる言葉』ーー『プルターク英雄伝』『近世日本国民史』『上海時代(下)』

粕谷一希『生きる言葉』(藤原書店)を読了。 

「古典から新刊まで古今東西の書物の世界を自在に逍遥し、同時代だけでなく通時的な論壇・文壇の見取り図を描いてきた名編集者が、折に触れて書き溜めてきた、書物の中の珠玉のことばたち。時代と人間の本質を映すことばを通じて読者を導く、あった。最高の読書案内」

古今東西の書物から選ばれた総計約七十人の「言葉」を通して、時代・社会・人間を読み解く」

生きる言葉 〔名編集者の書棚から〕

生きる言葉 〔名編集者の書棚から〕

 

この本で粕谷が選んだ言葉ではなく、引き出された粕谷自身の言葉を以下拾ってみた。

 ・日本人は戦後の無気力の前に、大人の思考力を失ってしまった。、、石原慎太郎大江健三郎は学生時代に作家になった秀才だが、どちらも社会生活の経験なしに作家になったことの無残さを歴然と残している。日本人の「戦後」はそのころからおかしい。その幼稚さの陽と陰の極限が二人の文章である。

・東京という街は昨日のことを忘れ、明日しか考えない。こうした虚しさを繰り返さないために、戦争と戦後を繰り返し振り返ることだ。

・ジャーナリズムと歴史、言論と思想の問題を考えてゆくうえで、蘇峰の徹底的再検討が必要のように思う。歴史はアカデミズムだけのものではない。(『吉田松陰』『近世日本国民史』)

・秋山駿は世界で最高の人物論は「プルターク英雄伝」だという。その彼が歴史上独りの天才(信長)を選んだのである。目標がはっきりすれば、史料も集めやすい。テーマを限定することが持続と集中を可能にする。

・私は羽田亨学長(京大)の学徒出陣の学生に贈る言葉「征きたまえ、そして帰ってきたまえ」という言葉に感動した。

山鹿素行の「凡そ物必ず十年に変ずる物なり」という著者(和辻哲郎)の引用した分文章は、古今東西を問わず万古不易の人間社会の真理なのだろう。風潮に惑わされるべきではない。

象徴天皇制をどうひとりひとりの内部の問題として位置づけるのか、これも二十一世紀日本人に残された問題である。

・チャールズ・ビアード教授の「日米関係とは中国問題」という名言が、冒頭に語られている。(松本重治『上海時代』)

私もそろそろ、『プルターク英雄伝』『近世日本国民史』『上海時代(下)』を手にすべきか。

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・市ヶ谷:の出版社で次作「大全」企画の打ち合わせ。そのままグランドヒルで一緒に食事。

東中野:構造計画研究で修士論文の副査を担当している酒匂さんの論文の指導。

荻窪:地研。大作「平成時代の366名言集」は25日刊行が決定。HP。ミーティング。社長夫妻と飲み会。

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「名言との対話」6月12日。グレゴリー・ペック「すでに自分は大統領役や歴史上の偉人をもう何人も演じている。もうこれだけで充分ではないか?」

エルドレッドグレゴリー・ペックEldred Gregory Peck1916年4月5日 - 2003年6月12日)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンディエゴ出身の俳優

医者を目指してサンディエゴ州立大学医学部に入学するが、途中で転向し俳優を志す。1944年に映画デビュー。アカデミー主演賞候補になること5回。低迷期もあったが、「ナバロンの要塞」で復活し、「アラバマ物語」で念願の主演賞の栄冠を手にした。第17代アカデミー協会会長、ハリウッド俳優組合会長など歴任した。

代表作『ローマの休日』ではオードリー・ヘプバーンと共演し、新聞記者役を熱演した。その演技は私もよく覚えている。ときどき通うイタリアンレストランでも、常に流れている映像は「ローマの休日」だ。

品位にあふれた紳士的で優しい人柄、誠実で温厚な人格者として人々の尊敬を集め、「アメリの良心」ともいわれた。リベラルの立場での政治活動も盛んでニクソン政権下では政敵としてにらまれていた。

人望を買われて政界進出の噂が周囲から出ている。5歳ほど年上のロナルド・レーガンがカーターを破って1981年に大統領になっているが、このとき、グレゴリー・ペックは65歳だったから、その可能性もあったかもしれない。高名な映画監督のオーソン・ウェルズからも大統領になるよう薦められていたという。そのとき、グレゴリー・ペックが答えたのがが冒頭の言葉である。千冊以上もの蔵書を持つリンカーン研究者として有名であった彼は、俳優としての生涯を貫くつもりであり、本心ではないだろうが、断る理由としては、ウイットに富みなかなか味がある。人々の尊敬と人気を集めた人柄がこのエピソードでわかる気がする。