岡田さんの「ジオラマの世界」の深さ、楽しさを堪能ーー「元祖ザ・倶楽部」のZOOM会合。

30年以上続いている同世代の「元祖ザ・倶楽部」のZOOM会合。岡田さんの「ジオラマの世界」の講義。驚きの趣味の世界の深さを堪能しました。

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  • 講義とキーワード:縮みの思考。盆栽・箱庭・お雛様。ドールハウス。昭和から平成。1週間から1ヶ月。指先。部品の組み立て。「RM MODELS」。オカダ式ユニット・ジオラマ。建築模型。隈研吾。原稿料。家族の理解。空間。レゴ。東武リトルワールド。有明スモールワールド。40作品。大人の塗り絵。ストーリー。
  • わたしの感想・アイデア:田端文士村記念館の芥川龍之介の家がジオラマ、人物記念館に活用。渡辺京二「逝きし世の面影」の再現。記憶データベース(東京。時代)の構築。大名庭園など。遺影と銅像の代替。創造性を育む。住んだ家。、、、

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 デメケンのミーティング:8月27日参加型社会学会(参加)。11月3日深呼吸学部学園祭(図解学科で出店)。11月13日富士箱根伊豆国際学会(登壇)。 

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名言との対話」8月23日。細見華岳「いつかこんな帯が似合うような人になりたいと思わされるような透明な美しさがあります」


細見華岳(1922年8月23日ー2012年1月1日)は、着物作家。綴織の重要無形文化財保持者(人間国宝)。
兵庫県丹波市丹波布で有名)に生まれる。1937年、15歳で京都西陣の帯の織元、京都幡多野錦綉堂で修行し綴織の技術を習得する。1940年に始まる七・七禁令施行時には企業が川島織物などに合併されながらも仕事を続けることができたほど卓越した評価だった。1943年、21歳で徴兵、満州へ。シベリアに抑留され1948年に帰国。
1949年、27歳で綴れの聖地御室に独立して綴織工房をもつ。独立後は羅の重要無形文化財保持者である喜多川平朗、友禅の重要無形文化財保持者である森口華弘などに指導を受けながら日本伝統工芸展を中心に活躍した。第1回日本伝統工芸近畿展に出品し入選。

1963年には第10回日本伝統工芸展に綴帯「ながれ」を出品し初入選。1964年の日本伝統工芸染織展では綴帯「陶彩」で日本工芸会賞を受賞する。1965年、社団法人日本工芸会正会員に認定。1968年、日本伝統工芸染織展にて日本工芸会賞受賞。この頃より「よろけ織」への挑戦を始める。1975年、近畿支部日本伝統工芸展にて大阪府教育委員会賞受賞、京都府伝統産業新製品作品展にて奨励賞受賞。
1976年には、フランス・ポーランド・旧ユーゴスラヴィアで開催された「現代日本の染織展」に出品。1984年の第21回日本伝統工芸染織展では紗変織夏帯「渚の月」にて文化庁長官賞受賞。1985年の第32回日本伝統工芸展では綴帯「友愛」にて日本工芸会会長賞を受賞。1987年、第34回日本伝統工芸展では有紋薄物着尺「爽」が保持者選賞を受賞。1990年には銀座・和光にて個展「綴と50年」を開催した。
1991年、沖縄県立芸術大学美術工芸学部教授に就任。1997年まで学生の指導にあたる。1992年、京都府指定無形文化財「綴織」保持者に認定。1993年には勳四等瑞宝章を受章。1996年銀座・和光にて個展「つづれ織・波と光」を開催。1997年には重要無形文化財「綴織」保持者(人間国宝)に認定される。1998年、式年遷宮記念神宮美術館に綴帯「晨」等を献納。2002年、京都市文化功労者表彰。2003年銀座・和光にて個展「-つづれ織・糸の旋律-」を開催。2005年、西陣織物館に綴織額を寄贈。2006年、横浜のシルク博物館にて「-綴織に心をこめて-人間国宝 細見華岳展」が開催される。

2011年には卒寿を記念して「細見華岳展―つづれ織・糸の旋律―」(銀座・和光)を開催。89歳で永眠したが、卒寿は数え年で行うのが通例である。作品は文化庁東京国立近代美術館、シルク博物館などに所蔵されている。

細見華岳の作品を商う「銀座かわの家」のホームページを覗いた。

「絵画のような美しい帯をつくる着物作家。代表作は綴帯「友愛」、綴帯「よろこび」、綴帯「陽光」、夏帯「謡映」など。華美な色合いと柄を好まず淡色を使った柔らかい色合いが特徴。重厚で華美ではなく上品」。

友人の金沢の加賀友禅作家・久恒俊治さんから、「日本人は絵を着ている、と外国人がいいます」と聞いていたが、作品の写真を眺めるとその言葉を実感する。

「爪掻き綴織りとはノコギリの歯のようにギザギザに刻んだ爪先で、糸を一本ずつ掻き寄せるようにして模様を織っていくものです。複雑な模様となると1日に1cmしか織れないため、完成度の高い美しい模様を表現するには膨大な時間がかかる」。

「後継の作家の方々に残されたものの大きさ、実際の作品が多くの人々に与えた感動、着る方の喜び、すべてが素晴らしく、後世に残っていくものであろうと思います」。「西陣の綴れ織の常識を変えるほどに少ない色数で、上品で静かな佇まいの中に綴れ織ならではの奥深さを表現され、厳しくも美しい作品を発表し続けられました」。

「爪掻綴れは完成させる図案を機の下に置いてその柄に沿って丹念に糸を打ち込み、それを織っていきます。手の爪にやすりで溝を作って櫛のようにとかして抑えていくのだそうです。織物というより、細く強い綴れ糸で一目ずつ編んでいくような工程で、根気と高い技術を要します。そんな作者のご苦労とは裏腹に、完成されたこの織物は、春の風と幸せを運んでくれそうで微笑んでいるかのように見えます」。

そして、「高貴なまでの清らかさを感じて心が洗われるようです。いつかこんな帯が似合うような人になりたいと思わされるような透明な美しさがあります」という極め付きの言葉を発見して鳥肌が立つ感じを持った。作品が人間をつくる、作品が人間を選ぶのであるから、それを身につける人は相応の人でなければならないのだ。こういう考え方が着物の世界にあったのか。「帯に似合うような人になりたい」、とまで言わしめた美しさの本物をいつか目にしたいものだ。

(出典:『日本美術年鑑』平成25年版(405頁)など)