『BALL』第3号の図解監修。幻冬舎オンライン・ヤフー!ニュースの連載。立川でけやき出版、整体。知研。

けやき出版の『BALL』第3号を入手しました。私は「図解で理解 多摩の会社図鑑」というテーマの監修を連載しています。

連載のの3回目は(株)スイペルアンドノットです。

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幻冬舎オンライン、YAHOO!ニュース。連載の9回目。

なぜ「箇条書き思考」より「図解思考」のほうがうまくいくのか。

https://gentosha-go.com/articles/-/38274

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立川。

・グランド・デュオで「けやき出版」と打ち合わせ。BALL第4号の図解の監修。

・整体

・知研の福島さんと意見交換。

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「名言との対話」11月1日。佐治敬三「現職の社長がしなきゃならんのは、トップの心得を後継者に説くことじゃなくて、下からのイノベーションの種がどんどん出てくるようにしむけることです。それがサントリの社是である「やってみなはれ」です」

佐治 敬三(さじ けいぞう、1919年11月1日 - 1999年11月3日)は、日本実業家サントリー社長、会長。享年80。

寿屋を創業した鳥井信治郎の次男。大阪帝国大学理学部化学科卒。学者を志すが、実兄が急死したため 1945年寿屋に入社。1945年、寿屋に入社。翌年、食品化学研究所長。1961年、49歳で社長に就任。1963年、社名をサントリーに変更し、念願のビール事業に進出した。サントリーは、太陽のサンと創業者・鳥井信治郎の「トリイ」を合体させた造語である。「トリス」での洋酒ブームを演出しら、PR誌「洋酒天国」を壮観。1985年、大阪商工会議所会頭。サントリー美術館サントリーホールなどをつくった。1990年、会長。

2016年11月3日にこのブログで佐治敬三のことを書いている。「現職の社長がしなきゃならんのは、トップの心得を後継者に説くことじゃなくて、下からのイノベーションの種がどんどん出てくるようにしむけることです。それがサントリーの社是である「やってみなはれ」です」をはじめ、多くの名言を紹介している。

  • 「出る杭は伸ばす」
  • 「とにかくワクワクしながら仕事をしてみろ。そうじゃないと人生は面白くならないぞ。」
  • 「ひとりの人間を永久に欺すことはできる。また、大衆も一時期なら欺すことはできる。しかし、大衆を永遠に欺すことはできない。要するに、真実でなければダメなんですよ。本当のものでなければ、ダメなんですよ。」
  • サントリーホール設計に際して、「文化で社会にお返ししよう」と考えてた佐治はホール形式(ヴィンヤード形式)の決定に際し、ヘルベルト・フォン・カラヤンの助言を受けた佐治がその場で発した「ほな、そうしましょ」の一言で決まった。

「社是は「やってみなはれ」である。現場にはイノベーションの種が転がっている。それを潰さずに、育てること、それがトップの仕事だということだ。今なお慕う部下を何人も知っているが、当時の佐治社長のもとでの仕事は面白かったに違いない」と結んでいる。

今回、野村正樹『佐治敬三 心に響く33の言葉』(学陽書房)を読んだ。

私は野村さんとはビジネスマンの勉強会で知り合った。サントリー宣伝部員と推理小説作家の二足のわらじ、二刀流の人であった。縁があったが、2011年に66歳で没している。

この本は2003年に刊行された本だ。野村さんは1999年に50歳で早期退職しているから退職直後に書いた本である。身近な上司であった佐治社長のことを「言葉の達人」として、短くて深みのある一滴の言葉を選ぶ名手であるとして描いた本だ。いくつか名言を拾ってみよう。

  •  「出る杭」は伸ばすべし。目についたら水をやって育てますわ。
  •  やってみなはれ。みとくんなはれ。
  •  やろうかやめようかと迷ったときには、やってみろ。
  •  たけのこマーケティングをめざせ
  •  世の中の半歩先を歩け
  •  なんでや?
  •  どんな条件であっても、いいモノにはお客さんが集まるもんや
  •  会社で一番雑用が多いのは、たぶん社長や。
  •  社長の仕事は、これと思ったやつに仕事をまかせることだ。
  •  侃々諤々でいこう
  •  生活文化企業
  •  ネーミングは分かりやすいのがベストや。ネーミングは元気なほうがいい。
  •  君らも大したものや、ワシに校正をやらせるとは
  •  夢大きく膨らませえみ見い。膨らますことしか、これからの将来はない。

佐治敬三が亡くなったのは1999年秋だ。私の友人の渡辺幸弘さんはサントリー宣伝部で佐治社長の言動にまいった人だが、彼が49歳で早期退職したのは1999年だったことを思い出した。このことも退職の一因だったかもしれない。

佐治敬三がもっとも気に入っていた言葉は「美・感・遊・創」だったという記述がある。この言葉の発明者は通産次官をつとめた福川伸次だった。私も影響を受けて、JAL時代に、社内報の企画を「美」「感」「遊」「創」に続けて、「健」などのキーワードを12個並べて年間企画をつくったことがある。また佐治のいう「生活文化企業」という企業の新しい方向性にも共感してCI活動にも応用していた。

1991年に大阪のホテルでの梅棹忠夫先生の文化功労者のお祝いの会に出席した時、来賓の一人であった佐治敬三社長の「うらやましいなあ、お弟子さんたちは梅棹さんというてる。わたしらは梅棹先生です」と感に堪えたような言葉を発したのを覚えている。もうずいぶん前なのに印象に残る言葉だった。やはり、言葉の名人なのだろう。

野村正樹によれば、佐治敬三は経営者、文化人、そして人間としての凄さ、つまり経営力・文化度・人間性の三位一体の偉人であったという評価である。佐治敬三という名経営者については、評伝も何冊かある。片山修『おもろいやないか 佐治敬三サントリー文化』(ホーム社、2000年)、広沢昌『新しきこと面白きこと サントリー佐治敬三伝』(文藝春秋、2006年)、小玉武佐治敬三 夢、大きく膨らませてみなはれ』(ミネルヴァ書房、2012年)、北康利『佐治敬三開高健 最強のふたり』(講談社、2015年)などがある。名うての作家が「佐治敬三」論を書いているが、野村さんのこの本は一味違う佐治敬三が描かれている。

今回も冒頭に取り上げた「イノベーション」に関する名言をまたかみしめたい。