マルティン・ハイデッガー「存在者の存在に応えて語ることが、哲学である」

この日の記事はどこかへ行ってしまった。

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「名言との対話」9月26日。マルティン・ハイデッガー「存在者の存在に応えて語ることが、哲学である」

マルティン・ハイデッガードイツ語: Martin Heidegger, 1889年9月26日 - 1976年5月26日)は、ドイツ哲学者

ドイツ生まれ。フライブルク大学で神学を学び、哲学に転向。1914年に学位論文、1916年に教授資格論文を書く。現象学で有名なフッサールフライブルク大学に着任し、師弟関係となる。

1927年、37歳のとき、『存在と時間』を発表し、話題となるり、マールブルク大学教授となる。1928年、母校のフライブルク大学教授。1933年、フライブルク大学総長に就任する。ナチスに入党するが、衝突し総長を1年足らずで辞任。

戦後、ナチス協力のため追放をされる。1951年に復職。活発な著作活動を展開し、第2次ハイデッガーブームを現出させた。

ハイデッガーは20世紀最大の哲学者と呼ばれる。著書は膨大であるが、内容が難しく、主著『存在と時間』は三大難解書といわれる。他は、カント『純粋理性批判』と、ヘーゲル精神現象学』である。

2022年4月にNHKの人気番組「100分DE名著」でハイデッガーを取り上げており、そのテキストを読んでみた。

「みんな」に迎合する人々が多い。彼らは自分で考えていると思っているが本当は他人の考えをなぞっているだけだ。そういった環境にのみ込まれずに責任ある生き方をせよという主張である。

ハイデッガーは「存在」や「時間」という抽象的な問題を、日常生活から解こうとした。この『存在と時間』という著書は、上下2巻の構想であったが、下巻は刊行されていない。ハイデッガーは、実はそれぞれの回答を示したのではなく、「問い方」を提示したのである。

人間とは何か。ハイデッガーは「人間は時間的存在である」と語る。つまり、人間は現在の存在だけではなく、過去と一体の存在であり、それが他の動物とは違う特徴であるとした。そして人間を世界から断絶し、独立した存在だととらえていたそれまでの哲学に衝撃を与えた。人間を世界、環境、そして時間の中の存在として位置付けたのだ。

以上でハイデッガーを説明したとは思わないが、不思議なのはこの碩学が、ナチスを一時的にしろ評価し、入党までしたことである。「世界」「環境」でもある「みんな」に迎合するなという主張から逸脱して、みんなと同調したのだ。弟子のハンナ・アーレントらは、それぞれの観点から師を批判していが、それでもなお、ハイデッガーという存在はいまなおそそり立っている。

ハイデッガーの言葉をみよう。

「単純なものこそ、変わらないもの、偉大なるものの謎を宿している」

「経験を積んだ人は、物事がこうであるという事を知っているが、なぜそうであるかということを知らない」

「人は、いつか必ず死が訪れるということを思い知らなければ、生きているということを実感することもできない」「死というものを自覚できるかどうかが、自分の可能性を見つめて生きる生き方につながる」

ハイデッガーは「存在者の存在に応えて語ることが、哲学である」と哲学を説明している。さまざまの存在者がいるから、それぞれの疑問や悩みに個別に応えて語るのが哲学だということだ。一般論ですべてを語ることはできない。「偉大に思索するものは、偉大に迷うに違いない」との言葉もあるから、哲学者はあらゆる存在に応答しようとするのである。なるほど、そう理解しておこう。

NHK「100分DE名著 ハイデッガー