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「名言との対話」12月11日。笠信太郎「ものの見方について」
笠 信太郎(りゅう しんたろう、1900年(明治33年)12月11日 - 1967年(昭和42年)12月4日)は、日本のジャーナリスト。
福岡県福岡市出身。修猷館を経て、1925年、東京商科大学を卒業。大原社会問題研究所を経て、1935年に朝日新聞に入社。論説委員、1940年からヨーロッパ特派員として、ドイツ、スイスに滞在。1948年に帰国し、論説委員、論説主幹、常務取締役を歴任し、14年間にわたり論説主幹をつとめた。朝日新聞を代表するオピニオンリーダーとして、影響を与えた。1952年の講和問題では全面講和を主張、1960年の安保条約改定では改定支持の論陣を張った。日本国憲法を土台とした世界連邦の提唱、沖縄返還では核抜き返還を主張した。
笠信太郎という名前は、私たちの世代には懐かしい名前である。大学受験の国語の問題として笠信太郎の文章がよく出されたからだ。特に『ものの見方について』や『花見酒の経済』という笠の著書はよく読まれた。
今回、あらためていくつかの著書を手に取った。
代表作『ものの見方について』は1950年刊行で、それから15年後に改訂版が出ている。その序では、ヨーロッパ滞在中に感じたことを書いた1950年版では「考え方」「ものの見方」について、イギリス、ドイツ、フランスについては、何かを探りあてた感じはあったが、肝心の日本については確信がもてなかったとある。特攻精神から共産主義への三段飛びという比喩も紹介しているが、自分の考えではなく、できあいの考え方を借りているだけだ、とある。そして改訂版では日本についてを書き加えた。私の世代は1965年刊行のこの改訂版を読んでいたのである。
「イギリス人は歩きながら考える。フランス人は考えた後で走り出す。そしてスペイン人は、走ってしまってか後で考える」から始まる。ドイツ人もフランス人に似ている。日本人はどの型に似ているだろうという問いを抱えたまま、論じていく。
日本について。理論を崇高化するが、理論の中身は検討しない。自然科学と違って社会科学の分野では大理論は皆無である。「全体」「政党」「伝統」「思想過剰」「受け入れの仕方」「思想と事実」「思想の濾過機」「感性の形式」「学問と生活」、、そして科学、教育に筆が及んでいる。
ヨーロッパ、ソ連との比較において、日本の独自性を描き出そうとする論考である。当時の日本は、先進国のヨーロッパ、そして共産主義革命を果たしたソ連が、比較する対象であったことがわかる。一つの日本論、日本文化論である。
『花見酒の経済』では、時論中心に論じているが、「おしまいに」では、マルクスやケインズが探り当てあたような「型」、日本の経済を説明できる「型」をもっていないというもどかしさを語っている。
1987年刊行の『なくてななくせ』もある。こちらも、ひとつの日本人論である。落ち着いてはいられない「くせ」、目移りする「くせ」、、、。日本人の頭脳の優秀さは立証されている、その素質の伸びが悪いのは社会的、集団的な生活の仕方、つまり集団にいると個人の影が薄く、頼りなくなる「くせ」にあるという考え方である。そして最後にこの点が今後の教育の根本課題の一つであると論じている。
笠信太郎というジャーナリストは、戦前は近衛文麿を囲む昭和研究会で活躍するブレーンであり、戦後は、時事問題に論陣をはった人である。一方で、豊富なヨーロッパ体験をもとに、日本論、日本人論、日本文化論を発表してきた人でもある。いくつかの著書を横断的に眺めてみると、「論」を語ることの哀しさを嘆いているように感じる。日本人自身がつくり上げるべき体系的で重厚な「学」を期待しているのだ。例えば、文明論でなく、文明学を目指すというたぐいの努力が、経済分野もふくめて必要で、その解決策は「教育」にあるという見方であるとしておこう。