ラジオのインタビューが素晴らしい:「今井正」(映画監督)。「倉橋由美子」(小説家)。「向田邦子」(脚本家)。「五木寛之」(作詞家)

「ラジオ」は素晴らしい。本日聴いた映画監督、小説家、脚本家、作詞家のインタビューが面白かった。

今井正1912年1月8日 - 1991年11月22日)は映画監督。戦後日本映画の左翼ヒューマニズムを代表する名匠。東京帝国大学中退後、東宝の前身J.O.スタヂオに入り、入社2年で監督に昇進。戦後は独立プロ運動の中心人物として数多くの社会派映画を手がけた。フリーとして長く監督をつとめた今井は「映画を作る人間は、資本から独立して、自由の立場にいなければならない」との考えだった。「ひめゆりの塔」「武士道残酷物語」「青い山脈」「橋のない川」など。

倉橋由美子(1935年昭和10年10月10日 - 2005年(平成17年)6月10日)は作家。ファンでもあった作家の小池真理子が語る番組。倉橋由美子は『聖少女』などで読者を魅了した作家。その文体論や、女性であることへの嫌悪感などをのべている。

  • 向田邦子(1929年(昭和4年)11月28日 - 1981年(昭和56年)8月22日)は、テレビドラマ脚本家、エッセイスト、小説家。第83回直木賞受賞した直後に台湾での航空機事故で急逝。「どこで命を終わるのも運です。、、骨を拾いにくることはありません」死んだ後も人に思い出してもらえるようなものを書こう」という言葉を思い出す。インタビューでは何事にも自分の考えを持っている女性、観察眼が鋭く、表現力が豊かな人だと感心した。

  • 五木寛之:月1回のインタビュー番組。今回は五木寛之が作詞した歌。五木は78曲以上を作詞している。倍賞千恵子が歌った「冬の旅」。藤田まことが歌った「夜のララバイ」。ペギー葉山の「夜明けのメロディー」。弦哲也作曲の「あなたに逢いたい」。以上の歌とエピソード聞いた。才能や人柄のいい人がどうして若くしてなくなるのかという感慨を漏らしていた。どこかで聞いた山崎ハコの「織江の唄」も素晴らしかった。五木寛之は言葉の魔術師だ。

    ーーーーーーーーーーー

9時半から近藤さんと「革命」の編集。

20時から「テレポート学校」の講義:糸島の杜で自治会長をしている石長さんのchatbotをつくる解説。自治会の規約を読み込んで、住民から質問があったら、答えてくれるというしろもの。コード書きが得意なclaudesonnet4とLINEの連携のやりかた。自然な言葉で対話しながら仕上げていく。

--------------------------

「名言との対話」7月2日。大竹省二「(レンズの)クセを論じるのではなく、クセをどう作画に生かすかという一点に関心があるのである」

大竹省二(おおたけ しょうじ、1920年5月15日 - 2015年7月2日)は、日本の写真家。享年95。

静岡県掛川市出身。中学生の頃から『アサヒカメラ』などのカメラ雑誌に写真を投稿し、コンテストに入選を重ねる。10代後半には有望なアマチュアカメラマンとして知られた。1940年、中国上海在住の伯父を頼り渡航。上海の東亜同文書院に入学。1942年、応募した写真が農林大臣賞と読売新聞社賞を同時に受賞する。1944年、軍報道部および憲兵司令部で報道写真を担当し、北京大使館報道部付となる。1946年(昭和21年)には連合国軍総司令部GHQ)報道部の嘱託となる。

1949年、秋山庄太郎らと日本青年写真家協会を結成。1953年、二科会写真部創立会員。1970年、アイシンク社を設立し社長を務める。1992年、日本写真家協会功労賞受賞。2003年、二科会写真部理事長。2007年、スポニチ文化芸術大賞優秀賞受賞。

人生のはじめから95歳で没するまで、写真一筋に生き抜いた人物である。大竹の写真の対象は人物が中心で、特に女優など女性のポートレートが多いのが特徴だ。代表作に『カメラと女』『女の中のおんな』『101人女の肖像』『女性写真セミナー集』などがある。女性写真の巨匠である。

クラシックカメラ選書37『大竹省二のレンズ観相学 距離計用レンズ編』(大竹省二)では、使用したカメラやレンズの記述とともに、「積年の技の重さに鍛えられた迫力」の山田五十鈴、「ほっとした温かさを感じる」池内淳子、横から撮った浅丘ルリ子などの作品が掲載されている。気品のある柔らかさ、丸みのある解像力、繊細で雰囲気のある描写、軽快でシャープな切れ味といった表現が多用されている。この書籍には他に、「汗が滴るのを立ったままじっとカメラを凝視」した三船敏郎、「はじらい」「茶碗酒」「スマイル」などの作品も収められている。

「画家がいろいろな画筆や色材を生かして絵を描くように、レンズの持ち味を撮影に生かすことを心がけてきた。被写体と撮影距離、光線状態を選んで作画するのである」、そして「(レンズの)クセを論じるのではなく、クセをどう作画に生かすかという一点に関心があるのである」と「まえがき」で述べている。大竹省二は、武器であったレンズのクセをそれぞれのレンズの持ち味とみなした。

人にもそれぞれクセがある。組織や集団がある目的に向かって進む場合、それぞれの人にはクセ、つまり長所や短所がある。彼らの長所を組み合わせながら目的を達成することが求められる。クセとは一人ひとりの持ち味として捉えよう。カメラも、そのレンズも「人」であった。