浜口雄幸『随感録』--「偉人は凡人の修養の結晶物であり、大業は其の偉人の努力の結晶物である。」

 浜口雄幸『随感録』(講談社学術文庫)を読了。

 城山三郎『男子の本懐』で知られるライオン宰相浜口は土佐高知生まれ。1929年に総理就任後、金解禁、中国関税自主権の承認、ロンドン海軍軍縮条約の締結など困難な課題に取り組んだ。大蔵省に入るが、上司への直言のため、山形、松山、熊本など地方勤務を余儀なくされている。昭和恐慌のさなか、浜口は東京駅で銃弾に倒れる。その時、苦しい呼吸の下から「男子の本懐だ!」と言っている。それが城山三郎の小説のタイトルとなった。

また、浜口は後藤新平から目をかけられ、満鉄理事の就任を望まれるが固辞し、次に後藤が逓信大臣になった時には次官に就任する。そして浪人生活中に、後藤の感ゆうで立憲同志会に入党し政党政治家への道を歩んでいる。浜口は熟慮した上で、自己の意志を貫いており、出処進退に悔いることはないと断言している。

幣原外交と井上財政と呼ばれる政策を首相として断交した。この本の「自序」では、「建艦競争の危険防止と、国民負担の軽減とを、二つながら成功せしめたことは、聊か余の満足するところである」と触れている。その浜口は修養上の参考を目的として著したのが本書だ。

随感録 (講談社学術文庫)

以下、本文から。

・議会の弁論に於いて、、、攻撃は難く防御は易い、、攻撃演説の場合に於いては、、、政府軍の金的に命中せしめなければ成功とは言えない、否、少なくとも五分以上の相撲を取らねば攻撃軍の敗戦、、。

・第一に余は生来極めて平凡な人間である。唯幸いにして余は余自身の誠に平凡な人間であることをよく承知して居った。平凡な人間が平凡なことをして居ったのではこの世において平凡以下の事しか為し得ぬこと極めて名涼である。

・政治の目的は、国民の物質的生活を充実せしむると共に、更に進んで其の精神的生活を充実せしむるにあらねばならぬ。

・緊張せる心の力と、緊張せる肉体の力との共働的活動に依って、人間というっものは摩訶不思議なる大きな事業が出来るものである。

・多読濫読よりは、斯道の権威者の力作一又は二を、徹頭徹尾精読数回に渉って十分に之を頭脳に消化するに如かずと思う。

・問題は最後の五分間だ。そこが最も大切な処だ、うんと踏ん張るべし、、、。公人が公事に臨むや、終始一貫、純一無雑にして、一点の私心を交えないことである。

・偉人は凡人の修養の結晶物であり、大業は其の偉人の努力の結晶物である。

・『碧巌録』

・一発の銃声と共に61歳の浜口雄幸は死んだのである。之と同時に第二の浜口雄幸なるあらたな生命が生まれたのである。

 

「名言との対話」12月17日。勅使河原蒼風「花は、いけたら、花でなくなるのだ。いけたら、花は、人になるのだ。」

勅使河原 蒼風(てしがはら そうふう、1900年12月17日 - 1979年9月5日)は、日本の芸術家いけばな草月流創始者1927年草月流を創流。「草月」は、勅使河原家の家紋「根笹に三日月」に由来する。

1927年に独立して草月流(1953年財団法人草月会発足し理事長に就任)を創始し、いけ花の近代化につとめる。観客側を正面として、観客に向かい作品の背後から手探りでいけていく「後ろいけ」など斬新な手法を多く提供した。1955年のパリ個展が盛況で、フランスのフィガロ、米タイム誌等で「花のピカソ」と賞賛された。創作はいけばなに留まらず、彫刻、絵画、書にも亘る。映画『切腹』や『怪談』では題字をてがけている。

1960年、フランスの芸術文化勲章1961年にはレジオンドヌール勲章1962年には芸術選奨を受賞。

「若しこの世の中に、植物が一つもなかったとしたらどうだろう。どっちを見ても花はない。そういうとき私たちは、一体何をいけるだろう。私は、そこに石があったら石、若しくは土があったら、土をいけるだろう」

「いけばなは生きている彫刻である」と喝破する勅使河原蒼風は、「花」突きつめていく。「求めていなければ授からない。だから、いつでも求めていなければならない。自分だけが授かるものがどこかにある。それを授かるのはいつなのか。ついに授からないかもしれないが、求めていなければ授からないのだ」。そして、いけた花は花ではない、いけた花は人になる。そういう境地にまで達している。