午前は、「イコール」編集長打ち合わせ。秘書との打ち合わせ。「人物記念館ミュージアム」の打ち合わせ。午後からは、陽気に誘われて夫婦で百草園へ。
百草一帯は平安時代から鎌倉時代にかけて真慈悲寺という大寺院があったと推定されている。
江戸時代には松蓮寺が建立され、廃寺となった。188年、百草出身の生糸商人・青木角蔵が百草園を開園した。現在は京王電鉄が所有している。
若山牧水の歌碑。
山の雨しばし軒の椎の樹にふり来てながき夜の灯かな
摘みてはすて積みてがすてし野のはなの我等があとにほく続きぬ
拾ひつるうす赤らみし梅の実に木の間ゆきつつ歯をあてにけり

松尾芭蕉の句碑。
「春もやや けしき調ふ 月と梅」
芭蕉の句の裏の句。1878年(明治20年)の句会で詠まれた句。蕉風の代表的な3つの庵から集った俳人の14の句は裏面に刻まれている。
寿昌梅。小田原城主の大久保候室の寿昌院滋岳元長尼が、徳川家康の長男・岡崎三郎信康を追悼し植樹した梅。織田信長が信長の娘をめとった信康の謀反心を疑ったたため、家康は切腹を命じたとされている。
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日経新聞の「私の履歴書」の2月は漫画家の一条さゆり。2月28日は最後の日。
1949年生まれ。岡山県玉野市出身。少女漫画家。『デザイナー』『砂の城』『有閑倶楽部』『プライド』が代表作。
- モットー「右手に自由、左手に仕事」(左利き)(漫画家という仕事で自由を手に入れた)
- 漫画は道楽。ライバルは昨日の自分。(道楽と仕事が一致。昨日の自分のみがライバル)
- ほぼ60年も飽きずに漫画を描き続けられたのは、同じ絵、同じ作品を描かなくていいから。(表現には突き当りがない。いつまでも進化を続けられる)
- 幸せとは、自分が好きなことに才能があること。漫画が好きで、のめり込んで努力してたら才能があって、実に幸せな人生を過ごした。我が人生に悔いなし。(関心と能力が一致した例)
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「川柳まつど」473号が届いた。「風の子に着ぶくれさせて弱くする」が「地」にとられていた。

「名言との対話」2月28日。高峰秀子「現場で働く人間にとって、何より嬉しいのは、同じ現場の人間に慕われること」
高峰 秀子(たかみね ひでこ、1924年3月27日 - 2010年12月28日86。)は、日本の女優、歌手、エッセイスト。享年86。
天才子役スターから始まり、木下恵介、小津安二郎など日本映画界の巨匠の作品に数多く出演。女優引退後はエッセイストとして活躍した。「わたしの渡世日記」では第24回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞しているほどの名手でもあった。
熱心に本を読む人だった。高峰は小学校に通算して一ヶ月余りしか通っておらず、学校教育というものを受けることが出来なかった。答えは「劣等感ですね」だった。その劣等感をバネに勉強した人である。
高峰秀子「おいしい人間」(潮出版社)を読了。神保町の古本屋街をブラブラして買った女優・高峰秀子のエッセイだ。「名言との対話」で高峰秀子を書いたのだが、そこで彼女のエッセイが素晴らしいことを発見した。その目が「おいしい人間」を見つけた。本屋を巡る愉しみはここにある。
エッセイでは筆者の人柄、日常の生活、周囲の人物評などが出てくるので、楽しい。この人は女優であり、夫は映画監督であったので、著名な俳優などが出てくる。
丹下左膳を演じた大河内伝次郎については、次のように書かれている。「優れた俳優は、物の教えかたも要領を得て上手い」「「が、大河内さんだけは本身を使う」「不器用な人で、おまけにド近眼」「「きびしく名刀のような人だった」、、。
司馬遼太郎「先生は美男である(いささか蒙古風)」。安野光雅「先生も美男である(いささかインディアン風)」。こういう対比や、人間性があらわれるエピソードを書く筆致は実に楽しい。
自分についてはどうか。「年中無休、自由業」「白黒をハッキリさせたい性質(たち)の私」「女優の仕事は、そと目には華やかでも、私にいわせれば単なる肉体労働者である」「30歳のオバサン女房が夫をつなぎ止めておきには「美味しいエサ」しかない」「なにごとにつけても、自分自身の眼や舌でシカと見定めない限りは納得ができない、という因果な生まれつきの私」「「食いしんぼう」「春先には蕗のとうの風味を味わい、夏には枝豆の爽やかな緑を楽しみ、秋には茸、冬には鍋ものと、ささやかでも季節そのものをじっくりと楽しめる、、」「私のヒイキは、なんといっても「内田百閒」だった」「私は、自分が下品なせいか、上品なものに弱い」「人づきあいはしない。物事に興味を持たず欲もない。性格きわめてぶっきらぼう」「独断と偏見の固まりのような人間」「どんな知人友人でも死顔だけは見ないことにしている」
400本の映画に出演した大女優は、名エッセイストだったことを納得した。沢村貞子もそうだったが、「目」がいい。
『旅は道連れ 雪月花』の「追記ー亡き父・松山善三に捧ぐ」には「本来は幸せになれないはずのカリスマの女(高峰秀子)を、幸せにしたのは、松山善三である」との長女の言葉がある。
高峰の『わたしの渡世日記』では第24回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞しているほどの名手でもあった。夫の松山善三は「彼女は、一か八かで僕を選び、僕は恍惚と不安の中で、うなずいた」と松山はこの本で述べている。から、映画スターと助監督の結婚であった。食いしん坊の二人は、余裕のできた中年以降、無理なコースはとらないこと、最高のホテルに泊まること、美味しいものを食べること、という3つの条件を課した旅を敢行する。
この本では、京都、東京、金沢、札幌、熱海、神戸、小豆島・広島、博多などの出色の紹介がある。松山によれば、京都は「うまいものが、数限りなくあり、集まり、それが四季それぞれの特色を見せて旅客を楽しませてくれる。、、世界一と言ってもよい」、東京は「東京の面白さは、、、日本全国から、ごった煮のように集まった人間そのものをみることだ」「東京には世界中から、うまいものが集まってくる」。
高峰秀子は「二十四の瞳」「喜びも悲しみも幾歳月」「名もなく貧しく美しく」などの映画の主演女優として活躍したのだが、人を見る目、本質をつかむ力がそれを支えていたのだろう。冒頭の「現場」の真実を言い当てる言葉には、高峰秀子の知性と人間性が垣間みれる。現場に問題があり、現場に仲間があり、そして現場に答えがあるのだ。

