『イコール』第10号「橘川幸夫責任編集6号」ーーーー今号の目玉は「さよなら渋谷陽一」だ。

『イコール』第10号「橘川幸夫責任編集6号」が届いた。今号の目玉は「さよなら渋谷陽一」だ。次に「生成AIと生きる時代」。

「さよなら渋谷陽一」は、彼の言葉と思想に出会った人たちの小さなお別れ会だ。

橘川幸夫渋谷陽一ら同世代のカウンターカルチャー族とはあまり縁がなかった。活動領域が違うこともあるが、彼らはずっと東京で暮らしていた人たちである。

大企業に勤めた転勤族の私は東京を起点にはしたが、札幌、ロンドン、そして転職した仙台と拠点が変わっていったから、今は橘川から渋谷の名前をよく聞くが、生前の渋谷本人とは会っていないのは残念だ。

この「イコール」10号でさまざまの関係者から渋谷陽一像が語られている。

  • 出版とラジオを使って音楽祭をファシリテートする企業をつくりあげた天才で、編集者、ライター、ラジオDJ、プロデューサー、経営者として成功した。
  • 自民党が演歌。野党は古いフォークではなくビートルズやサザンのような新しい歌を響かせなければならない。LOVE、PEACE&FREEの価値観が有効だ。これは渋谷の名言。
  • 70年代をメディアにして出会い、「ロッキング・オン」を創刊した橘川と渋谷はコインの裏表だ。表が渋谷、裏が橘川。「ロック精神」を橘川は「イコール」で展開していると語っている。

私は音楽でいうと「歌謡曲」だろうか。クラシックでもない、フォークでもない、ましてロックではなかった。その派の中で新しい歌を歌おうとしていた立場だった。大企業に勤め、大学で教えたが、今は橘川の分野のロックの世界に浸って楽しんでいる。

「イコール10号」からキーワードを拾う。

  • イコールZINEムーブメント。『修羅場の王』。半農半X。100冊出版プロジェクト。
  • 生成AI人格・登録室:「初心」「ミライ」「みっき」「マユナビ」「シンリ君」「AIDA」「フランキー」「タマちゃん」「オッピー」「ソラ」「ノゾミ」「ノブリエル」。
  • 新しい働き方の核心は、頭脳労働と肉体労働を、人間の関係性で融合させることだ。バンド型労働。知・体・感・公。関係の編曲者という希少性。

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「名言との対話」11月21日。立川談志「落語とは「業」の肯定である」

立川 談志(たてかわ だんし、1936年〈昭和11年〉1月2日 - 2011年〈平成23年〉11月21日)は、東京府小石川区(現:東京都文京区)出身の落語家。落語立川流家元。享年75。

27歳で真打に昇進した天才落語家。1966年、30歳、日本テレビ笑点」を企画し、初代司会をつとめる。35歳、参議院議員に当選。47歳、落語立川流を結成し、家元となる。

談志は古典落語を貫いたのだが、その中で「己を語る」独自の型を発明した人である。談志の感覚でしゃべる。登場人物が談志と被る。談志という人間を語る。つまり、自分語る芸である。落語を一人称で語った人だ。

談志には著書が多い。20代から書いていて累計で50冊以上になる。落語論、芸人論、自伝、評論、小説など分野は多岐にわたっているが、根底にあるテーマは「落語とは何か」だった。

手塚治虫舞の海のファンでもあり、各界の友人が多かった。談志が32歳の頃に行った紀伊国屋書店田辺茂一との対談は際どいが面白い。田辺は「夜の新宿市長」と呼ばれた遊び人である。談志は58歳で、『酔人・田辺茂一伝』を書いている。長く付き合ったことがわかる。

「狂気と冒険」が信条で、サインするときはよく書いていた。弟子は「芸人100点、人間0点」と語る。58歳、喉頭ガン。65歳、ライバル志ん朝の死。66歳、師匠小さんの死。74歳、声門ガン。享年75。生前に自分でつけた戒名は、立川雲黒斎元勝手居士だ。

談志の晩年の70代に仙台で噺を聞いたことがある。ほとんどは病気の愚痴だった。最盛期の談志を生で見たかったと残念に思った。

落語界の四天王と言われた時代がある。達者なのは立川談志、うまいのは志ん朝。円鏡は面白い落語の円境。まず志ん朝、円楽、翌年が談志、円境が翌翌年に昇真打に昇進する

「多数に胡坐の自民党、何でも反対社会党、みんなロボット公明党、力の足りない民社党、日本にゃ向かない共産党、あるのかないのか社民連」「ひとつの仕事に就いてみてそれが面白くなってくるなら分かる。あなたにとっていい仕事なんだと思う」。「やだね〜」の独特の言い回しは談志の代名詞となり、頻繁にものまねされた。

談志は日本は法治国家ではなく、「情治国家」だと喝破していた。そういう国柄だからこそ、落語は廃れないのだろう。談志が関与した分野は広大だが、「おれには落語っていう拠り所がある」というように落語という立地点が確かだったから、思う存分に暴れられたのだろう。人間の「業(ごう)」とは、道徳や常識を振りかざすことではなく、欲望に弱く怠惰な人間の性(さが)を受け止めて赦し自分も同じだと笑う、ということだと思う。落語の人気は確かに「肯定」にある。