『イコール』06号「橘川幸夫責任編集号4号」が届いた。
季刊の橘川幸夫責編集としては第4号で一回りしたことになる。この号も192ページと量質ともに充実している。表紙のAI による女性の顔は今回も印象的だ。
「イコールの先へ。」という副題がついているように、この流れに参加しつつある30近い「イコールZine」が紹介されている。「ロコール」「ハコール」「トコール」「タコール」「ワコール」、、。この未来を創造しようとするムーブメントはすでに第二期を迎えつつある。
市販3誌の「橘川イコール」4冊に加えて、「田原イコール」2冊目、「久恒イコール」2冊目が準備中、そして第4の「イコール」も刊行予定だ。月刊になるのも近い勢い。
「富士山ドットコム」で定期購読を開始した。https://www.fujisan.co.jp/product/1281706225/
特集「書店ニューウェーブが面白い」が面白い。今、本と書店が熱い。
- 「オフィス」と「働き方」についての対話:山崎雅人「どこでも書店」。岡村栄理「オフィスの中にまちライブラリーを」
- 未来読書研究通信:田口幹人「未来の読者を創る」
- シェア書店「わたしの本棚」:伊佐裕「コミュニティ書店「わたしの本棚」
- シェア型書店・棚主会議」:26名が参集。全国シェア書店一覧。北海道から岡山まで。それぞれネーミングが面白い。
- 下北沢に「子ども」と「本」と「酒」の空間:店主渕上「10代のための塾と書店とバー」
- 書籍ダイジェストサービス「情報工場」:「変化や興味を喚起する」
- 出版新時代に向けて:橘川幸夫「新時代へ向けて展望と方法を模索」
- 深呼吸書店:ふかざわみどり「夫が脱サラしてシェア書店をやりたいってよ」
夜は20時からテレポート学校「セナリ学院」の補講。70人が参加。デジタルエスノグラフィーをテーマに、漫画、音楽、プレℤん、文章、映像などが展開するパノラマが紹介された。
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原稿執筆依頼。
- 「アクティブ・シニアの学び」(「イコールZine」の『ハコール』)
- 「地域DNAー未来をデザインする」(「富士箱根伊豆国際学会誌」創刊号)
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「名言との対話」3月30日。佐藤忠良「死ぬまで低空飛行ができたら素晴らしいなと考えている]
佐藤 忠良(さとう ちゅうりょう、1912年7月4日 - 2011年3月30日)は日本の彫刻家。享年98。
宮城県大和町出身。東京美術学校卒業。1944年、32歳で出征する。33歳、ソ連の収容所3年間抑留される。36歳、復員。ここから本格的な彫刻家人生がようやく始まる。40歳、「群馬の人」が国立近代美術館に収蔵される。48歳、高村光太郎賞。54歳、東京造形大主任教授。62歳、芸術選奨文部大臣賞。74歳、生誕地宮城県に全作品を寄贈を表明。78歳、宮城県美術館に佐藤忠良記念館が開館。83歳、宮城県大和町に佐藤忠良ギャラリー。96歳、札幌に佐藤忠良記念子どもアトリエ。98歳、2001年3月30日、老衰のためアトリエ敷地内の自室で没した。
生前、日本芸術院会員に推薦され、文化功労者や文化勲章の候補にも選ばれたが、本人は「職人に勲章はいらない」と語り、これら国家の賞を全て辞退した。
佐藤忠良はロダンや高村光太郎の後継を意識していた。それは人間を中心に据えた造形であった。毎年「今年の抱負は」と聞かれて、毎年「去年の続き」と答えてきたという。つまりはたゆまぬ継続が信条なのだろう。自身の自称は「彫刻の職人」である。
「シベリアの抑留生活は大変だったでしょう」と聞かれたとき、笑って「彫刻家になるための労苦をおもえばあんなものはなんでもありません」といってのけた。
- 2011年に世田谷美術館で開かれた「ある造形家--佐藤忠良」展を見た。そこで得た言葉。
- 「絶えず「目と心と技術」の訓練をすることです。彫刻家は一個の像の中に主題のための「空間」と「時間」をできうる限りつめこまねばならない宿命を持たされていて、それには高度な精神と技術が必要になってくるからです」
- 「デッサンは作者の目と心の硬化を防ぐ息の長い体操のようなものです」
- 「段取り半分」
- 「底光りするような個性というものは、競技者が一番でゴールに入るときの鍛錬にも似て、作家人生の終盤に出るのが本当ではないだろうか」
「、、死ぬまで低空飛行ができたら素晴らしいなと考えている」の後には、「もう上昇はできないし、いつか減速して下降するのだろうが、この低空飛行の持続は、よほどの浮揚力の蓄積がないと失速墜落ということにもなるだろう」とある。
「彫刻家と人が認めてくれたとき、五十歳を越えていた」遅咲きの人・佐藤忠良は強い浮揚力で滑走路に足がつかないように低空飛行を長い期間続け、作家人生の終盤にようやく底光りする個性と品格を表現できたのだろう。