函館三日目---川田龍吉、カール・レイモン

函館元町探訪。
 亀井勝一郎生誕の地。
 函館ハリスト正教会
 函館市公会堂。
 四天王像。
 旧イギリス領事館。
 ペリー提督来航記念碑。
 函館西高等学校(辻仁成北島三郎

郊外の北斗市にある男爵資料館。
男爵いもを開発した川田龍吉の資料館。
1856年生まれで没年は1951年とあるから、江戸、明治、大正、昭和、そして戦後まで生きた95年の人生だった。「生まれは南、最後は北、江戸--昭和」と本人がいっているように、凄い人生だった。土佐出身で父・小一郎(三菱創立、後に日銀総裁)にしたがって東京に出て慶応義塾に入学するが、造船技術を学ぶためにスコットランドグラスゴーにいく。帰国後、横浜のドックをつくり(現在のランドマークタワーのそばの日本丸を係留しているドックをつくる)、函館ドックの再建のため北海道に渡る。55歳から農場経営に乗り出し、男爵いもを開発する。父が男爵の地位をもらいそれ相続したため、男爵いもと命名された。
牛舎を改造した資料館は、本館は一階にトラクター、芝刈り機、ガーデントラクターなどを展示してある。2階から続く震撼は3階建てで、一階はロコモビル蒸気自動車、2階は実験用具・資料文献、3階は農・林・鉱業用具などの展示。全部で5000点の資料が展示されている。
川田は日本人初のオーナードライバー、日本発のマイカー通勤者でもある。
この資料館ではヒゲの男爵の服装をした案内人が説明してくれるとういう趣向だ。
1998年に金庫からスコットランド時代の恋愛の相手であるジェニー・イーディからの手紙が発見された。「サクライに恋した英国娘」(伊丹政太郎・アンドリューコビング)という本に詳しい。昭和54年にNHKドラマ「いもと男爵と蒸気自動車」というタイトルで愛川欣也が川田を演じているが、そのとキノディレクターが著者である。90通のラブレターを読み解いたロマンあふれる労作だ。92歳で近くのトラピスト修道院で洗礼を受けている。

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トラピスト修道院
見学は予約制。見学できるのは男子のみ。
1896年にフランスの修道士が津軽海峡を眼下に見下ろす高台に建築。
湾を挟んで修道女のいるトラピスチヌ修道院と対になって存在している。

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川田龍吉と懇意にしていたカール・レイモンという食肉加工業者を記念した「レイモンハウス」は元町にあった。一階はハム。ソーセージの販売所で、2階がカールレイモン歴史展示館となっている。1人の有能なマイスターとある。マイスターは親方という意味で、その下の職人はゲゼルと呼ばれている。その下の見習いはレーリング。これがドイツのシステムである。
「私のハムは生きています」と言ったレイモンは自らを「胃袋の宣教師」と呼んでいる。チェコで生まれたレイモンは函館東浜町の勝田旅館の娘・コウと恋愛し駆け落ちして中国の天津で落ち合い、ドイツで式をあげる。その後、許されて函館で店を開く。EUの旗のデザインの最初の提案者でもある。青地にゴールデンスターのデザインである。
「私のハムはね、肉の細胞を一時的に眠らすだけ。人間の胃にはいるとすぐ細胞はよみがえるのです」
レイモンハ1987年に93歳で永眠、妻コウは1997年に95歳で永眠。
この株式会社カールレイモンの従業員たちはきびきびと誇りを持って働いているようで気持ちがいい。
「レイモンさんのハムはボヘミアの味」(シュミット村木真寿美)を入手して読みたい。

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函館を16時50分に発って仙台到着は21時半だった。


函館の旅で、7つの記念館を巡った。
本格的に人物記念館の旅を始めてから3年弱だが、200館を超えた。