手塚治虫記念館

k-hisatune2008-06-10

手塚治虫記念館は宝塚市立の記念館である。
阪急宝塚駅から「花の道」と命名された歩道を歩くと、おしゃれな女性たちを多く見かける。それは、宝塚大劇場を目指す人たちだった。その大劇場を通り抜けたところに独特の形の記念館がある。入口には手塚治虫の代表作である「火の鳥」のモニュメントが建っている。火の鳥は自らの体を炎に焼き、その炎の中から復活し永遠に再生し続ける生命の象徴というロシア民話がルーツだ。手塚はこの鳥を、古代から未来へと続くあらゆる生命の観察者として使っている。手塚治虫に永遠に生きて欲しいとの願いの象徴なのだろうか。

漫画界の第一人者、日本のアニメの創始者、そして偉大な思想家でもある手塚治虫は1928年(昭和3年)に生まれ、ここ宝塚で5歳から24歳までを過ごしている。治虫という名前は、本名の治に好きだった虫を加えたペンネームだ。宝塚で虫取りに熱中した昆虫少年だったのだ。
地下一階、地上二階という建物だが、一階の劇場の前で生前のインタビューを流していた。「一人の人間には一つか、二つの主張しかない。私の場合は戦争体験だった。生き残ったことで、生きるというテーマが生まれてきた。だから人間の生死を扱った作品が多い」「漫画には風刺と告発の精神が必要だ」「いつまでも子供でいたかった」。

小劇場でアトムビジョンで「手塚治虫伝」という作品を鑑賞する。
中学生ではロストワールド、幽霊男など初期SF三部作を描き、17歳ではマアチャンの日記帳でデビューする。そして戦後の昭和22年に18歳で映画的手法を用いた「新宝島」という作品が40万部というベストセラーになって手塚は漫画界に華々しく現れる。今日のストーリー漫画のさきがけだった。手塚は大阪のスターになる。初期の作品にも生命の尊厳というテーマが顔を出している。生命のありがたさ、尊さが作品のモチーフとなっている。

手塚漫画の特徴は、斬新なヨコ文字のタイトルなどもあげられるが、スターシステムが大きなものである。その他大勢という配役はいなくて、キャラクターはどこかの作品で主役級を演じている。
大阪大学医学専門部出身の手塚は医学博士号をもつれっきとした医者で、一時は医者として身を立てることも考えるが、結果的に漫画界に入っていく。
昭和27年の鉄腕アロムは、ロボット少年アトムが主人公の未来世界の物語だが、人気があり連載は18年間続く。この作品がのちにアニメーション(動画)となってテレビ番組となり、私たちが少年の頃に熱狂することになる。昭和38年にムシプロがつくたアニメは爆発的な人気を呼び、41カ国で大人気となった。この間の手塚の作品の流れを見ていると、ものすごい量の作品を生み出し続けていることがわかる。怒涛の仕事量である。

手塚漫画の牙城であった「月刊COM」を創刊し「火の鳥」を新しく連載し、少年誌だけであく、青年誌にも描き続ける。
昭和43年には、スランプに陥り、手塚プロは倒産する。
第二のピークは昭和48年に少年チャンピオンではじめた「ブラックジャック」でこれも代表作の一つとなった。
「絵が描けない。苦しくてしょうがない。老化現象。腕に自信がなくなってきた。アイデアはバーゲンセールしてもいいほどあるのだが」と述べており天才・手塚治虫にも苦悩はあることがわかる。
「マンガバカなんです」「もう、これしかない。一つの業(ごう)です」と言い描き続ける・日本人はなぜこんなに漫画が好きなのか、という問いに誰かが「他の国には手塚治虫がいなかったからだ」と答えているが、手塚の仕事の素晴らしさを表す言葉だと思う。
手塚の愛弟子でもあった石ノ森章太郎は、「人間嫌いが根っ子にある」、馬場のぼるは「逃げ出すことのうまい人だった」と編集者から逃げる姿を説明し、「一種の大河ドラマ」だと評している。また、ベルバラの池田理代子は、ネオ・ファウストなどの作品を挙げ、「夏目漱石と同じ」と評価していた。
手塚治虫は平成元年に60歳という若さでこの世を去るが、改めて生涯にわたる作品を見ると、幅の広さに驚く。古今東西の人類の知的遺産を漫画という手法で描きだしている。今年は生誕80年というから、この20年間手塚が生きて仕事をしていたら、私たちの世界も今とは変わっているだろう。

記念館では漫画の歴史を展示していた。
鳥獣戯画が漫画の原点、北斎漫画、地獄草子、と鎌倉時代の地獄草子、江戸時代の鳥羽絵本、明治時代のポンチ絵(日清から日露にかけて戯画錦絵を描いた浮世絵師の描いた石版刷り小型マンガ本。近代漫画の出発点)、明治の宮武外骨の「滑稽新聞」、職業漫画家第一号の北沢楽天の「東京パック」、小杉未醒の「コマ画」、そして大正時代に朝日新聞で活躍した漫画記者・岡本一平、4コマ漫画の最初の作品である「ノンキナトウサン」(報知新聞)と続く。漫画にも長い歴史と人物が連なっているのだ。

「マンガの描き方」(手塚治虫)を読むと、面白い。
・省略。誇張、変形、この三つが漫画の、すべての要素なのだ
・不満とからかい
・毒
・ただ、ひたすら漫画を描くことだ
・落書き精神
・アトムの毛はぼくの耳の上の毛がモデルだし、お茶の水博士の鼻はぼくの鼻だ。タマ公のめがめ姿はもちろんぼくである
演繹法--これが、こうなり、こうなった。帰納法--これがこうなっている、そのわけはこうだ
・その借り物に、そ職場や学校で聞いた世間話や自分で感じたことで色づけする。あるいは、駅や電車の中で人を見て、この人はこんあ生活をしているのだろうと想像して、できたイメージを盛り込んで肉づけするわけだ。
・人を感動させ、アピールするのは、自分のいちばん描きたいものをぶつけたときである。こういうときは、その人にとっても最良の作品がつくれるものだ。
・長編漫画は、映画をつくるのとよく似ている。
・長編漫画ははじめに台本をつくって構想をまとめておくことが大切である
・新鮮さ。 
  あまり、ほかの漫画作品(ことにプロの)を見ないこと
  深く考えすぎす、ただマイペースで描くこと
  描いている途中で人の意見を入れないこと
・漫画以外の教養や知識が、最後にものを言う。ふだんの勉強も必要で、漫画本ばかり読んでいてはダメである。文学や科学書、紀行、評論集などの本に親しんで、知識を広めることだ。