本居宣長の「宇井山踏」は、宣長が畢竟の大作「古事記伝」を34年の歳月をかけて書き終え、門生たちから学びのための道しるべを書いて欲しいとの懇望があったのにようやく答えることにした書物である。何を学ぶか、いかに学ぶかが主題である。漢意(からごころ)を排し、日本に帰れという主張は、中国を欧米と置き換えて読めば現在の私達へ向けたメッセージにもみえる。儒教道徳に染まりきった幕末の時代に、本居宣長の思想の強い衝撃が明治維新を生んだことに思いを馳せる。何を学ぶかということもあるが、この書はいかに学ぶかという視点からも多くの示唆が与えられる。寛政十年(1798年)十月二十一日の夕べに書き終えている。200年以上前の宣長69才の書である。
いかならむうひ山ぶみのあさごろも浅きすそ野のしるしべばかりも
- しょせん学問はただ年月長く、うまずおこたらずに、はげみつとめることが肝要である。
- 晩学のひとも、つとめてはげめば、おもいのほか効果をあげることがある。また暇のないひとも、おもいのほか、暇の多いひとよりも効果を見せもする。それだから、才のとぼしいこと、まなぶことの晩いこと、暇のないことなんぞによって、こころくじけて、やめてはならぬ。
- 道をまなぼうとこころざすひとびとは、第一にからごころ、儒のこころをきれいさっぱり洗い去って、やまとたましいを堅固にすることを肝要とする。
- 古事記、日本書紀。古語拾遺、万葉集。続日本紀、日本後紀、続日本後紀、文徳実録、三代実録。(日本書紀よりあわせて六国史。朝廷の正史)。延喜式(「祝詞」)、姓氏録、和名抄、貞観儀式、出雲国風土記、釈日本紀、令、西宮記、北山抄、そして古事記伝。伊勢物語、源氏物語。
- 漢籍を見るには、とくにやまとたましいをよくかためておいて見なくては、かの文辞の綾にまどわされもしようぞ。この心得が肝要である。
- 皇国の学をこそただ学問といって、漢学をこそ区別して漢学というべきところである。
- まずよそのことばにかかずらわってわが内の国のことを知らないのは、くちおしいわざではないか。
- 力のかぎり、古代の道をあきらかにして、その趣旨を人にも教えさとし、本にも書きのこして「おいて、たとい五百年、千年の後にもせよ、時節めぐり来て、上これを取り、これをおこなって、天下にさずけほどこすであろう世を待たなくてはならぬ。これぞ宣長のこころざである。
- 「古事記」は、、、ただ古代よりの伝説のままに、書きぶりは至極みごとなものにて、上代のありさまを知るにはこれにおよぶものがない、、、。それゆえに、このわれも壮年より数十年のあいだ、身もこころもかたむけて、この記の伝四十四巻をあらわして、古学のしるべとはした。
- わからぬところはまあそのままにして読みすごせばよい。、、ただよくわかっているところをこそ、気をつけて、深くあじわうがよい。
- 総じて漢籍はことばがうまく、ものの理非を口がしこくいいまわしているから、ひとがつい釣りこまれる。
- すべて神の道は儒仏などの道とちがって、是非善悪をうるさく詮議するような理屈は露ほどもなく、ただゆたかに鷹揚に、みやびなものにて、歌のおもむきこそよくこれに合ってぴたりとする。
- 古きをしたいとうとぶというなら、かならずまずその根本の道をこそ第一に深く心がけて、筋目をあきらかにしてさとるべきっことなのに、これをさしおいて、末にだえかかわりあうのは、まことに古きを好むというものではない。