「没後80年 金子みすず--みんなちがって、みんないい。」展

金子みすずの記念館は山口県長門市にあり、いずれ訪ねようと思っていた。日本橋三越で「没後80年 金子みすず-みんなちがって、みんないい。」の入場券をもらったので、スケジュールの合間を縫って行ってみた。「生誕100年記念 金子みすず」という別冊太陽も購入した。著名な人たちは、「生誕」「没後」などの節目にその都度普遍的な姿と新しい装いとで私たちの前に登場する。
この童謡詩人についてはあまり知らなかったが、息子に聞いてみると「オンリーワンの人でしょ。」という返事だった。1996年以来小学校の教科書に載っているので若い人には馴染みのある詩人である。

私が両手をひろげてても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のように
地面を速くは走れない。
私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のように、
たくさんな唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。

金子みすずは26歳で自らの命を絶っている。その短い生涯をまず要約しておこう。

  • 1903年、山口県大津郡仙崎村で生誕。本名金子テル。
  • 1906年、父が清国で死去、遺族は仙崎で金子文英堂書店を始める。
  • 1910年、瀬戸崎尋常小学校入学。6年間全甲、首席、級長。「優しくて、ていねいで、きれいな少女でした」(担任の女性教師)。
  • 1916年、大津高等女学校に入学。「ミサヲ」第3号に「ゆき」を発表。以後、「ミサヲ」に毎号詩を発表。1920年、卒業。卒業生総代。
  • 1923年、下関の上山文英堂に移り住む。下関は東京駅に次ぐ2番目に大きい駅だった。その後、西之端商品館内の上山文英堂支店で働き始める。この頃からペンネーム「みすず」で童謡を書き雑誌に投稿を始める。北原白秋の「赤い鳥」、野口雨情の「金の船」、西條八十の「童話」に投稿。特に西條八十には激賞される。

「ふっくらとした味わい」「もっとも貴いイマジネーションの飛躍がある」「子供の生活気分をみごとに表現する力」。。・

  • 1924年西條八十渡仏。投稿しなくなった。
  • 1925年、自選集「ろうかん集」。童謡詩人会発足。女性では与謝野晶子とみすずのみ。
  • 1926年、文英堂の手代だった男と結婚。離婚話がでるが妊娠が判明。長女ふさえ誕生。
  • 1927年、西條八十と下関で会う。「下関の一夜」。発病。夫から花柳病を移される。
  • 1929年、夏から秋にかけて3冊の遺稿集を清書。娘ふさえの言葉を採集した「南京玉」を始める。
  • 1930年、2月9日別居。2月27日離婚。夫がふさえを連れに来るとの手紙。3月9日写真を写す。3月10日自殺。享年満26歳。夫への遺書には「ふさえを心豊かに育てたい。だから、母ミチにあずけてほしい」とあり、正祐には「さらば、我等の選手、勇ましく往け」。ふさえが夫にとられることへの抗議の自殺だった。

当時の童謡雑誌の投稿では名前を知られていたが、それまでで、金子みすずは消えた。
それがなぜよみがえったのか。そこには長い物語がある。
その後、1966年に当時大学1年生だった矢崎節夫が、「日本童謡集」でみすずの「大漁」に出合い強い衝撃を受け、金子みすず捜しを始める。
1982年、弟正祐が、劇団若草創立者・上山雅輔であることがわかり面会。3冊の遺稿集と写真を預かる。
1983年、朝日新聞がみすずの遺稿発見と全集発行を報じる。
1999年、朝日新聞社主催「幻の童謡詩人 金子みすずの世界展」。
2001年、舞台、映画、テレビドラマ。
2003年、長門市立「金子みすず記念館」開館。、、、。

朝焼小焼だ
大漁だ
大羽鰯の
大漁だ。

浜は祭りの
ようだけど
海のなかでは
何万の
鰯のとむらい
するだろう。(大漁)

金子みすずのファンである63人の各界の著名人がメッセージを寄せている。
片岡鶴太郎荒木経惟石井ふく子、浜圭介、水戸泉玄侑宗久松たか子、佐治晴夫、太田治子黛まどか里中満智子桜井龍子日色ともゑやなせたかしちばてつや池内淳子北原照久、呉翆華、三木卓、佐藤しのぶ、DPダーチャー、、、、。

私が感銘を受けた詩。

「積もった雪」
上の雪
さむろかな。
つめたい月がさしてちて。
下の雪
重ろかな。
何百人も載せていて
中の雪
さみしろな。
空も地面もみえないで。

「草の名」
人の知ってる草の名は、
私はちっとも知らないの。
人の知らない草の名を、
私はいくつも知ってるの
それは私がつけたのよ、
好きな草には好きな名を。
人の知ってる草の名をも、
どうせ誰かがつけたのよ。
ほんとの名まえを知ってるは、
空のお日さまばかりなの、
だから私はよんでるの、
私ばかりでよんでるの。

増田明美の言葉が金子みすずの詩をよくあらわしている。
「どれも、大切なことにサラッと、気づかせてくれます。これまで見えなかったことがみえてきて、心のひだがどんどん豊かになる漢字なのです。」

金子みすずのはかない人生、その短い生涯で生み出した珠玉の詩。何度か涙が出そうになった。