宗像大社。宮地嶽神社。東郷神社。

宗像大社

645年の大化の改新で日本は公地公民制度を導入し、私有地は無くなった。唯一の例外は
神社の所有地であった神郡と呼ばれた7つの有力大社だった。
伊勢神宮などが指定されたが、九州では宗像大社のみであった。
ここには121の末社を束ねた22の社殿が存在している。
玄界灘沖ノ島の沖津宮、大島の中津宮、内陸の辺津宮、この三社の総称が宗像大社だ。
沖ノ島は海の正倉院と呼ばれるほどの豪華な工芸品があった。
遣唐使沖ノ島で航海の安全を祈り、復路ではご加護に感謝した。
鎌倉時代元寇の時も、玄界灘の守り神である宗像大社が祈りを捧げている
室町時代n0は宗像氏は50回以上の朝鮮貿易船を出している。
明治の日露戦争では、沖ノ島至近の洋上で決戦が行われた。
この大社は地元も出光佐三が尽力した。

境内の新しい注意書きに、「無人航空機の飛行を禁止するという字句をみつけた。
話題のドローンだ
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宮地嶽神社


御祭神は神功皇后ら3女神。
三韓征伐の時のここで神に祈り出陣した。
日本一の大しめ縄。
地下の正倉院と呼ばれる巨石古墳。
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東郷神社
日露戦争日本海海戦の戦場を一望できる地に東郷元帥を祀る神社がある。
旗艦三笠の主砲の先端部の一部がある。
昭和21年に全て切断し八幡製鉄所の溶鉱炉で溶かすことになっていたが、せめて一片だけでも残そうということになって地中に埋めて保存していたものである。

神を祀る神殿は独特の形と色をしている。
福岡水交会の海兵66期有志の名前も見える。

神社の境内には水師営の孫木というナツメの木が植えてあった。
こちらは乃木将軍がロシアの大将と接見した水師営のことを思い出させる工夫であり、
日露戦争の海戦と陸戦の双方を記念する意味合いがある。
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「名言の暦」12月26日

命日

生誕

  • 片山潜1859:人間には運命というものがあって、これをある点まで支配できることができるものだと思う。
  • 岡倉天心1863:亜細亜は一なり。
  • 毛沢東1893:創造的な仕事をなしとげる3つの条件がある。1・若いこと、2・貧乏であること、3・無名であることだ。
  • 藤沢周平1927:物を増やさず、むしろ少しづつ減らし、生きている痕跡をだんだん減らしながら、やがてふっと消えるように生涯を終えることができたら幸せだろうと時々夢想する