「韃靼疾風録」(下)から。

司馬遼太郎「韃靼疾風録」(下巻)で、以下は勉強になった点。

・中国の皇帝は民を食わせるためにある。その能力を失った場合、他の姓がとって代わることが正義であり、天が皇帝の姓を易え、天命を革(あらた)める。易姓革命である。

儒教は文明であることをのみ基準とする礼教。基本の一つは礼で、服装と髪制が重要。君子は美服を着た官僚、小人は労働者。

儒教の一派の朱子学尊王を打ち出した。朱子学は宇宙の運動(気)の中に法則(理)が内在し、その理を究めることが学問であるとする。王を中心とした倫理的秩序を尊ぶ。苛烈な正義の体系である。特に 分家の当主であり、小華を自認する李氏朝鮮朱子学は硬く鋭い。

・皇帝の即位を登極という。極とは北極。北極星に衆星が向かう。星座の中央に登る。

・中国史は食の歴史であり、不食の歴史であり、流民の大発生史であった。

・文明は広がろうとする。老衰すると文化になる。

・蘇州・杭州は天府の地であり、宇内の富が集まっている。古くは呉越と呼ばれた地域だ。

・明朝の苦しみは、北虜南倭。北虜はモンゴル人、南倭は日本海賊。

鎖国は日本全体を塗籠の土蔵にし、その中で秘酒を吟醸するようにして太平という酒が醸された。

キリシタンへの恐怖から鎖国をした日本への亡命が流行った。新教のオランダと唐人には寛容だった。

・他民族に屈辱を与える国家行為は、長い計算では負の行為である。

・北方の騎馬民族が渡来して日本に王朝をつくったという江上波夫の説。王朝をつくる専門の民族がいた。

・日本語は「てにをは」という助詞を膠にして単語をくっつけて文を作る。漢文は単語をレンガのように積み、語順で意味を生む。

 

「名言との対話」8月22日。出光佐三「愚痴をやめよ。ただちに建設にかかれ」

出光 佐三(いでみつ さぞう、1885年8月22日 - 1981年3月7日)は明治から戦後にかけての日本の実業家・石油エンジニア・海事実業家。石油元売会社出光興産の創業者。

出光には二人の恩人がいる。中津出身の神戸高商の水島てつや初代校長。そして淡路出身の日田重太郎からは別荘を売った8000円を無条件で提供してもらった。

「奴隷となるな」のモットーは、時代とともに変わる。「黄金の奴隷となるな」(学生時代)。「組織の奴隷となるな」(戦時中)。「権力の奴隷となるな」(占領時代)。「数や理論の奴隷となるな」(独立後)。「主義の奴隷となるな」。

「人格を磨く、鍛錬する、勇んで難につく、つとめて苦労する、隠忍する、贅沢を排して生活を安定する、しかして大いに思索する。」

「ドイツは戦争に負けたが、占領政策には敢然として戦っております。ドイツの再興はわれわれの手でやりたいと言っている。」

百田尚樹の「海賊と呼ばれた男」(講談社)で出光佐三は最近脚光を浴びた。このような人物が日本の石油業界にいたことの幸運を感じずにはられない物語だった。人との出会い(日田重太郎、、)、石油という魔物の商品に着目したこと、戦争など激動の歴史の中で翻弄される主人公、何度も訪れる危機で出会う僥倖、アメリカと日本官僚と同業者とのえんえんたる戦い、家族と呼ぶ社員たちの奮闘、企業よりも日本を優先する思想、お世話になった人たちへの義理堅さ、危機に際し原則と方針を明確に指し示すリーダーシップ、禅僧・仙がいの絵との遭遇と蒐集(月は悟り、指は経典)、丁稚奉公の主人や神戸高商校長の影響、、、、。このような真の日本人が様々な分野と業界にいたのだろう。その日本人が礎となって今日の日本がある。

戦後倒産の危機にあったとき、出光佐三が社員全員に向かって発した第一声がこの言葉だった。「愚痴をやめよ、世界無比の三千年の歴史を見直せ。そして今から建設にかかれ。」愚痴は何も生まない。愚痴は同僚を疲弊させ、空気を淀ませる。沈滞した空気を切り裂くのはリーダーの未来を信じる言葉だ。建設の槌音が聞こえる職場は負けることはない。