17回忌(慈明忌)。

午前は、父の17回忌。  

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法蔵寺。 

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父の肖像画

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 父の写真。

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昼食はハモ料理の店で、母の卒寿のお祝いの会。母と私たち夫婦。

 

「名言との対話」8月22日。遠山啓「偏るのがなぜ悪いのでしょう。過去において「何か」をやった人はたいてい何かひとつの事で優れて偏った人です」

遠山 啓(とおやま ひらく、1909年8月21日 - 1979年9月11日)は、熊本県下益城郡(現・宇城市)出身の日本数学者数学教育の分野でよく知られる。

福岡高等学校 (旧制)を経て、大学は東京帝国大学理学部数学科に一旦入学した後で退学するが、証明で千人万人を納得させられる数学で身を立てて行こうと思ってきたことを思い起こし、東北帝国大学理学部の数学科に再入学する。1938年に卒業した時にはすでに28歳になっていた。1950年ごろから数学教育に関心を持つようになり、1951年に数学教育協議会(数教協)を結成し、その委員長として長く小中学校の教育現場での数学教育を指導、数学教育の改良運動に力を尽した。

「数学によって、天文学者は宇宙のかなたへ飛ぶ事ができた。数学によって、物理学者は原子の中へもぐり込む事ができた。」

「数学は、人間と人間の集まりである社会とが、長い年月にわたって創りだした歴史的な産物で、計算術ではなく、ひとつの思想なのだ。」

遠山啓は、『無限と連続』『数学入門』などの名著を世に送っただけでなく、狭い意味での数学者を超えた行動する数学者であった。この名前は私の世代には馴染みが深い。晩年には堅苦しい「数学」イメージを解き放つために、「数楽」と書き換えることでその楽しさを強調しようとしたこともある。この数学という思想を究めた知的巨人は、若者たちに「偏れ」と語る。平均的な人間には突破力は備わっていない。ある分野に突出した人間によって次の時代が開く。