多摩:授業。九段:戦略会議・運営会議。代々木:知研幹事会。

夜は代々木で「知研」の幹事会と懇親会。

・来年のセミナー日程(基本:第4金曜日)。100年時代とSNS時代。総会(3月22日)。ゲストスピーカーの人選(岡田・小野・久米・井上・福島・力丸・・・・地研著者・若い人)。幹事FB。全国スケジュールの開示。会員管理。幹事の担務(セミナー小野。会員増強小林。編集根岸。単行本池淵。図解力丸。、、。)

・出版:小野さん「前立腺がん患者が放射線治療法を選択した理由」(1月)。知研編「新・深・真 知的生産の技術」(3月)。

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午前

・久米先生

・立志人物伝の13回目の授業。以下、久米先生の実況中継。

#多摩大学 久恒 啓一先生 #立志人物伝 181221
 自惚れろ>青島幸夫、孫正義、ジョブス、ドラッカー

今日の講義は「自惚れる」才能に恵まれたイノベーターたちの名言。経営者の中でおなじみでないのは、元都知事の青島幸夫さんだと思います。しかしよくよく鑑みると...【1960年当時、「僕は、運転免許を取って、美容師の免許を取って、映画も撮って、主演もし、作詞作曲をして、直木賞を取り、国会議員になる」と豪語して、植木等からも正気を疑われる。しかし、8年後までにすべて実現することになった。】というのはスゴイこと!言葉もいちいち納得です。

▼青島幸夫

「才能はみんな同じなのに、やらないだけですよ。気力の問題ですね。ボクは才能は傑出していないが、ウヌボレだけは人一倍です」

「面白がってやっているヤツと、苦労してやっているヤツと、どっちが勝つかな。やっぱりさ、面白がってやっているヤツにはかなわないんだよ。」

「オレはね、何か選択するときは厳しい方を選ぶ。だって、そっちの方が面白そうなことが待ってそうだもん。」

久恒先生の青島幸夫さんへのコメントは....

石原慎太郎から才人と言われた青島幸夫は、人からは「ほら吹き」と呼ばれ、自身は「ウヌボレ」を自覚しながら、そういう自分を面白がって明日に向かって邁進したのだ。ウヌボレほど大事なものはない。

>>>詳しくは
https://note.mu/hisatune/n/n358547ca4d75

他にも、自惚れる才能に恵まれたイノベーターたちの名言

スティーブ・ジョブス
「我々は宇宙に衝撃を与えるためにここにいる」
https://note.mu/hisatune/n/n8cc12dc84feb

孫正義
「最初にあったのは夢と、そして根拠のない自信だけ。そこからすべてがはじまった。」
http://k-hisatune.hatenablog.com/entry/20140723

ピーター・ドラッカー
「未来を予知しようとすることは、夜中に田舎道をライトもつけずに走りながら、後ろの窓から外を見るようなものである。一番確実な未来予知の方法は、未来自体を作り出してしまうことである。」
https://note.mu/hisatune/n/n330fcfccdf84

アンドリュー・カーネギー
「職業はなんでもいい、ただ第一人者たるを心がけよ」

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午後

・大学戦略会議:「研究」

・大学運営会議:人事。

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大川慶次郎私は競馬で3億得しています。そして4億損しています」

大川 慶次郎
(おおかわ けいじろう)
誕生 1929年2月6日
東京府北豊嶋郡王子町
(現:東京都北区王子)
死没 1999年12月21日(70歳没)
茨城県稲敷郡阿見町[1]
職業 競馬評論家
国籍 日本の旗 日本
最終学歴 慶應義塾大学文学部心理学科卒業。
主題 競馬
子供 大川智絵(長女)
親族 大川義雄(父)・大川平三郎(祖父)
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大川 慶次郎(おおかわ けいじろう、1929年2月6日 - 1999年12月21日)は日本の競馬評論家

オーナーブリーダーであった父・大川義雄(高千穂製紙社長)の二男で、渋沢栄一の曽孫にあたる。慶應義塾大学卒業後、会社員となるが競馬をあきらめらず、明治座社長だった新田新作の競馬担当秘書となる1957年から日本短波放送の解説者となった。『ホースニュース・馬』を発行するホースニュース社と予想家契約を結ぶ。1961年9月3日、同紙上で予想家としては初となるパーフェクト予想を達成するが、その後、極度のスランプに陥る。1994年に『ケイシュウNEWS』を去った後はフジテレビスーパー競馬』の解説者・日刊スポーツ専属評論家として活動した。1981年に設立した競馬予想会社ホースメン会議の総監督も亡くなるまで務めた。ファンへの仁義としてみずからも予想の通り馬券を買うのを常としていた。私は競馬には関心がないが、テレビで大川の顔は知っている。

馬の体型を一目見ただけで他の予想家や競馬記者が気づかなかった体調や故障、先天的障害を言い当てることもあったそうだ。予想家としては通算4度パーフェクト予想を達成し、「競馬の神様」と呼ばれファンに親しまれた。「神さまに戒名なんか要らない」という家族の意向により、大川に戒名はつけられなかった。死の5日後の「生前最後の予想」も的中させている。

「後編でバテる分の少ない馬が勝つ」というなにやら人生訓めく言葉もある大川慶次郎は、事前に用意されていたとしか思えない「競馬」という天職を手にした。天職には就くことが大事なことであって、収支は関係ない。1億の損、それがどうした、ということだろう。