「書初めの日」は、今年の計画を練った。

1月2日は「書初め」。

書初めは、新年になって初めて字を書くこと。「書は命」であり、正月元旦に神棚にお供えした「初水」を「神水」として墨をすり、恵方に向かって詩歌を書いたという宮中儀式が、江戸時代以降広まった。書く詩歌は「長生殿裏春秋富 不老門前日月遅」がよく用いられた。

「長生殿の裏には春秋富めり 不老門の前には日月遅し」と読み下す。中国唐代(玄宗皇帝)の「長生殿」の裏こそ春秋の富があり、「不老門」をくぐるとき、時がゆっくりと進み年を取らない不老の時を得ることができる。「和漢朗詠集」に慶慈保胤の詩として載っている。この情景は能楽「鶴亀」でも謡われている。「長生殿の うちにこそ ちとせの春あき とどめたれ ふうもんおしたてつれば としはゆけども おもひもせず」。

 平安時代宮中行事として始まり、江戸時代には寺子屋の普及で庶民にも広がった。明治時代からは義務教育の場で書道教育が行われ広く普及し、国民的行事となった。書く内容は、一年間の抱負や目標が多い。例えば、以下のように四文字熟語を書いていた。心機一転、鴻鵠之志獅子奮迅、勇往邁進一念発起、初志貫徹一意専心、粉骨砕身一家団欒、琴瑟相和無病息災、質実剛健泰然自若、明鏡止水誠心誠意、公明正大。、、、。

さて、私は書初めの日は「計画」を書く日にしようと思う。昨年の計画をみながら〇▽×をつけ総括をする。その上で、新年の計画を記す。今年は「公人」と「個人」と「私人」に分けて、やりたいこと、やるべきことを書いた。公人は3項目、個人は10項目、私人は3項目になった。

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「名言との対話」1月2日。ダリル・ディーン・スペンサー「今日ボクは、シングルヒットに二塁打三塁打本塁打を打った。珍しい記録とだと思わないかい? これをサイクルヒットと言うんだ」

ダリル・ディーン・スペンサー(Daryl Dean Spencer, 1928年7月13日 - 2017年1月2日)は、アメリカ合衆国カンザス州出身のプロ野球選手プロ野球指導者。

ドクター・ベースボール」と呼ばれるほど尊敬された人物 

1952年ニューヨーク・ジャイアンツメジャーデビューし、以後はセントルイス・カージナルスロサンゼルス・ドジャースシンシナティ・レッズと渡り歩いたメジャーリーガー。

1964年の来日早々の記者会見で「俺のバットと頭脳で阪急を優勝させる!」と豪語した。そして予告どおりスペンサーは1年目から打撃で大活躍し、36本のホームランを放つ。 日本では、小柄な選手が守ることの多かったセカンドというポジションを、190センチを越える大柄なスペンサーが守ったのだからファンは驚いた。ファイティングスピリットあふれるプレーで、大立ち回りを演じることもあった。そういう試合のインタビューでは「後ろからの攻撃に驚いたかって? そんなことはない、日本人は奇襲が得意じゃないか」とパール・ハーバーを皮肉って答えた。日本での7年間の通算成績は、2割伊7分5厘、152本塁打、391打点。

「スペンサーメモ」は、後に阪急に影響を与えた。対戦打 者の傾向やクセを把握し、その場で守備位置を変えるスペンサーの動きは他の選手にも影響を与え、野球にも頭脳が必要であるという意識を植え付けた。打撃や 守備だけではなく、走塁技術やインサイドワークなど大リーグ仕込みの緻密な野球を日本に持ち込んだのは「ドクター・プロ野球」こと、スペンサーだ。

熾烈な三冠王争いを展開した、そしてID野球(important data)を標榜した 野村克也監督は、もしスペンサー選手やブレイザー選手がいなかったら、日本のプロ野球精神野球の域をなかなか脱せず、日本の野球は相当遅れていただろうと語っている。名将・野村はライバル・スペンサーから学んだのだ。

サイクルヒット」は、それを達成した日のインタビューで語ったものだ。強かった阪急の主砲は長池とスペンサーだったという記憶はあるが、少年時代の草野球では、このサイクルヒットという言葉は聞いたことがなかった。大柄でよく打つ選手という印象はあったが、実はスペンサーは現在盛んになっているデータ野球を日本に持ち込んだ日本プロ野球の恩人だったのだ。