早朝ヨガ。書類作成。湘南キャンパス。読書。弟と痛飲。

早朝ヨガ教室

・新年最初のレッスン。年末年始でなまった体をほぐすためのストレッチ中心。

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湘南キャンパス

・学部長と懇談

・学部運営会議にオブザーバー参加

・高橋先生

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湘南台で弟と痛飲。母のこと。日産とゴーンのこと。兄弟会のこと、、、。

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辰巳渚『捨てる!技術』をを読了。 

 ・捨てようという目。本と洋服。とりあえずは禁句。ここに置いていいの?3年使わないものはいらないもの。あなたが死ねばみんなゴミ。使わないものは持たない。モノは収納スペースいっぱいまで増える。秩序は不要。目についた時が捨て時。捨てて困るものはほとんどない。一定量・一定期間・新品と置き換え。

新装・増補版 「捨てる!」技術 (宝島社新書)

新装・増補版 「捨てる!」技術 (宝島社新書)

 

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成毛眞『俺たちの定年後』を「読了。

・昭和一桁世代。焼け跡世代。戦中生まれ世代。団塊の世代しらけ世代。新人類世代。バブル世代。団塊ジュニア世代。ロスジェネ世代。ゆとり世代。さとり世代。ミレニア世代。

・日経電子版。NewsPicks。・スマホ:PeakFinder(山の名前)。ウオーターログ(水彩画風)。Everfilter(広告風)。カラースプラッシュ(広告風)。・100万円。ネット証券。インデックスファンド。・企業博物館。はとバス。旅の発見。ゲーム「プレステーションVR」。・「DIGA DMRーUBX7050」(10チャンネル全録、おうちクラウド対応、7テラバイト、スマホでテレビ)。モバイルハバッテリーAnkerのpowercore Ⅱ10000。195g」。ネットフリックス(海外ドラマ)ユーチューブ。

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「名言との対話」1月8日。小森和子ダメならダメでしようがない。まずは思った通りにやってみよう。そんな度胸のよさが人生を切り開いてくれることもあるのね」

小森 和子(こもり かずこ、1909年明治42年11月11日 - 2005年(平成17年)1月8日)は映画評論家タレント

婦人公論』編集部を経て、菊池寛の『映画時代』編集部で仕事をし愛人となった。京都では川口松太郎の愛人となる。32歳、神戸でOLをしていた頃知り合った小森一郎NHK会長の息子)と結婚。1947年、淀川長治編集長の『映画の友』で仕事をする。48歳、離婚。1958年、単身渡米し大ファンであったジェイムス・ディーンの墓参。滞在中に檀一雄と恋愛関係になる。六本木でムービー・サロン「ココ」を20年にわたり主宰。1992年には、映画資料1万点を熊本の映画サークルに寄贈。人材育成費として松竹に3,000万円を寄贈。

話を切り出す際の一人称として「おばちゃまはねぇ…」を使うことが多かったことから、テレビなどでは小森のおばちゃまと親しまれた。たまねぎのようなユニークな髪型と率直な言動で独特の雰囲気があるタレントだった。若き日の片岡鶴太郎がマネをして人気が出た。映画に詳しい女性としか知らなかったが、今回調べてみて相当なタマであることがわかった。

「『小森和子自叙伝 流れるままに、愛』は読み出すととまらない。小森のおばちゃまが、世界中の男は自分を愛してくれると自己愛満載で、思わず噴き出したり、うんざりしたり」(泉悦子)。

1983年に「テレフォンショッキング」に出演し、翌日ゲストのイルカに電話する際、相手の電話番号を口に出してしまう放送事故が発生し、翌日、登場したイルカは「おばちゃまのせいでイタズラ電話が殺到した」と苦笑していた。

小森和子には男女関係を巡る武勇伝が多い。不羈奔放な女性だった。そのエネルギーは「度胸」だ。自分を実像以上に見せようとして緊張するからあがるのであり、ダメならダメでしょうがない。思いきってぶつかって知り合った有名人との関係をこやしにして、人生を切り開いていった人だ。 

流れるままに、愛 (集英社文庫)

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