『長寿と画家』ーーゴヤ。ターナー。ドガ。モネ。ルノアール。ムンク。マティス。ルオー。ピカソ。シャガール。若冲、北斎。大観。守一。太郎。

  河原啓子『長寿と画家』(フィルムアート社)を読了。

長生きした画家15人の「名画」と「生き方」を最晩年から読み解いた本だ。西欧の画家と日本の画家を対象に、老境を考えるという趣旨である。著者は、アートジャーナリスト、アートドキュメント作家という肩書だ。

私は画家たちの言葉を抜き出しながら読んでみることにした。

フランシスコ・ゴヤ。82歳没。聴覚を失い半生を無音の中で過ごしたため、凝視することに集中し、画家の感性は研ぎすまされていく。「おれはまだ学ぶぞ」。

ウィリアム・ターナー。76歳没。30歳からの40年間でイギリスとヨーロッパ大陸を30回ほど旅行した。「色彩は光から生まれる」。「太陽は神だ」「わたしは無に帰る」。

エドガー・ドガ。83歳没。晩年は視力を失い彫刻に取り組んだ。「自分を舐めている猫のような、身づくろいをしている女性たちを表現したい」。「何もやりとげず、何も完結しなkった」。「有名かつ無名になりたい」。

クロード・モネ。86歳。「絵を描くとはどうしてここまで辛いのか!私は苦しみ、痛みを感じている」。「発見に至るには、しつこい観察と省察しかない」。「ああ、絵とは何たる拷問だろうか! まったく私はつまらぬ人間です」。「光はあまりにも早く過ぎ去ってしまう。私はそれをとらえたいのにいったいどうしたらいいんだ?」。「まだまだ満足できないんだ。私は傑作を制作した。、、、できない、うまくいかない。身を着るような苦闘だ」。

オーギュスト・ルノアール。78歳没。「僕はあいかわらず、実験で苦しんでいます。僕は満足できず、身を削る思いです。この気違いじみた状態が、早く終わってくれればと思います」。「裸婦ほど素晴らしい創造物はない」。「芸術は人々の真実の歴史だ。人生と理想を見出させてくれる」。

エドヴァルド・ムンク。80歳。「私は突然に死んだり、自分で意識もせずに死んだりしたくない。私はこの最後の時をも体験したいのだ」。

アンリ・マティス。84歳没。「50年以上、一瞬たりとも仕事を休んだことはありません」。「私はたえず制作しているか、さもなければ、制作の準備にかかっています」。「質が落ちたからといって、絵を描くことをあきらめねばいけないのか?どの年齢にもそれなりの美があるーーーいずれにせよ、私はいまも仕事に興味と喜びを感じている。私に残されたのはそれだけだ、、」。

ジョルジオ・ルオー。86歳没。「30年間、世の流行を追わないからって、どんなに呪詛と反対の叫びを聞いてきたことか」。「神ヨ、我を哀れみたまえ」。

パブロ・ピカソ。91歳。「結局、すべては自分に返ってくる」。「考えることは一つだけ、仕事だ」「呼吸するのと同じように描く、仕事をしているときにはくつろげるんだ」。

マルク・シャガール。97歳。「分け隔てなくなく、世界は一つだという古の人々のような感覚を取り戻すことに憧れを抱いていました」。「唯一のもの それは私の魂の中にある国。私はパスポートもなく 自分の家に入るようにそこに入る」。

伊藤若冲。84歳没。「千年具眼の徒を俟つ」。

葛飾北斎・89歳。「絵に限らず、自分の能力のなさを自覚して、自棄するときこそ上達すりときなのだ」。

横山大観。89歳没。「ソクラテスも死んだ。釈迦も死んだ。僕も死ぬ」。「無窮を追う」

熊谷守一。97歳。「石ころ一つとでも十分暮らせる」。

岡本太郎。84歳没。「年とともにますますひらき、ひらききったところで、ドウと倒れるのが死なんだ」。「自分は絵描きじゃない」。

長寿と画家  ──巨匠たちが晩年に描いたものとは?

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 「名言との対話」2月15日。大西良慶「ゆっくりしいや」

大西 良慶(おおにし りょうけい、1875年明治8年)12月21日 - 1983年昭和58年)2月15日)は、北法相宗京都清水寺貫主を務めた。

15歳で得度し、奈良法隆寺などいくつもの寺で修行を積んだ後、39歳で京都清水寺の管長となった。1965年清水寺を本山とする北法相宗を設立、初代の管長に就任する。法相宗以外の諸宗にも造詣が深く、日本宗教者平和協議会会長など仏教界の要職を歴任した。入滅まで現役の貫主であった。

1976年鹿児島県に生まれて話題となった日本初の五つ子の名付け親である。1983年、107歳で天寿を全うした。当時の男性長寿日本一でもあった。

『ゆっくりしいや』(PHP)では、最後に、清水寺貫主森清範は「書画は人なり」と「春風を以て接し、秋霜を以て自ら粛む」という言葉で大西良慶を語っている。北法相清水寺宗務長の松本は、「ゆっくりしいや」との言葉は味わいのある人生訓として深い真理を秘める、と述べている。そしてインタビュアーの野々村は、「仏様である」との感想を語る。接する人たちに大きな影響を与える人である。それが長い年月にわたって続いたから、影響を受けた人は多く、またその影響は次の世代にも及ぶだろう。こういう人を「偉い人」と呼ぶのだ。

この本では、「ゆっくりしいや」以外にも、「人間、あまり偉くならんでもええやないか」「目で笑うのは上等、鼻で笑うのは下等、口で笑うのはあり合わせの笑い方、本当におかしかったら抱腹絶倒、ハラをかかえて笑う」などが印象に残った。

また、「平凡から非凡になるのは、 努力さえすればある程度の所まで行けるが、 それから再び平凡に戻るのが、難しい」という名言もある。自身は非凡になってそのまま精進を重ね続くのが習性となっており、、「ゆっくりしいや」と人に語るが、自身はゆっくりできない性分になっているのだろう。

ゆっくりしいや

ゆっくりしいや