万葉歌碑の旅ーー八王子市鑓水御殿峠「妹をこそあひ見に来しか眉引きの横山辺ろの鹿なす思へる」

今日の万葉歌碑の旅は、八王子市鑓水御殿峠の多摩老人ホーム御殿園前にある歌碑。前回は母と、今回は妻と二度目の訪問です。

「妹をこそあひ見に来しか眉引きの横山辺ろの鹿なす思へる」

現代語訳として「逢いに来ました横山あたり、逢わせもくれずに、母親は、猪みたいに追い払う」(竹下数馬訳。立正大学教授)という平易な面白い訳が刻んである。

妹に逢いたくてやって来たのに、それを、あたかも横山あたりの鹿であるかのように、うるさく思って追い払うとは。

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猪の姿の歌碑は珍しい。鹿(しし)は猪のことだろう。多摩の横山は、あまり高くない丘陵で、眉をさっと引いたような感じであり「眉引きの」となる。

万葉の研究をしていた母からは、「当時は妻問い婚であり、男が訪ねてくるが、娘の母は男の家柄や財産を気にして、追い払うことがあった、その男の歌だろう」と最初の訪問時に教えてもらった。

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隣に石碑があった。「コックス慰霊碑」だ。

「たゆみなく近代文化を移植し、魂のあけぼののもたらした コックス親子

 日本の平和と幸福を とこしえに祈りつづけ この国土に眠る コックス親子三人

 志あるもの その徳を慕い み霊をなぐさめようと 石ぶみを建つ この丘に

 ああ 魂にかえる コックス親子三人」と刻まれている。

ポール・コックスは英国人。明治9年、一高・東大で英文学を教える父のダグラスに連れられて11歳で日本へ、以来65年日本に住んだ。ポールは慶応義塾や商船学校などで英語を教えた。晩年の20年は浅川町に住み、猟銃を肩に多摩の山野を歩き回った。「日本の国と日本人が大好き」が口ぐせだった。太平洋戦争が始まると日本残留を願い出たが叶わず、帰還船の船上で死去する。戦後10数年たって石碑が建てられたときには、地元の小学生ら300人が出席した。(「多摩文学散歩」(横山吉))

近くには山野美容大学短期学部がある。その隣の歴史を感じるヨーロッパ風のカフェで昼食。

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「名言との対話」9月5日。酒井雄哉「ひとつ道を見つけたら、生涯それで生きていくと決める。腹をくくっていれば動揺したり迷ったりすることはない。

酒井 雄哉(さかい ゆうさい、1926年(大正15年)9月5日 - 2013年(平成25年)9月23日 )は、天台宗の僧侶。叡山延暦寺千日回峰行を2度満行した行者である。。

大阪生まれ。旧制中学卒業後、1941年慶應義塾商業学校に入学。1944年、熊本県人吉の予科練に入隊し、鹿児島県の鹿屋飛行場で特別攻撃隊員として終戦を迎えた。

戦後。図書館職員時代に職場放棄、ラーメン屋を開業するが火事で廃業、株売買の代理店を始めるがスターリン暴落による大暴落で1億円の負債を抱え借金取りに追われ、そば屋の店員、菓子店のセールスマンなど職を転々とする。33歳のとき結婚するが、結婚わずか2ヶ月で自殺、以後抜け殻のような生活を送る。

39歳のとき得度し比叡山延暦寺に入る。千日回峰行に挑む前には、明治時代に死者が出て以来中断していた「常行三昧」という厳しい行を達成した。

1973年より千日回峰行を開始し、1980年10月に満行した。半年後に2度目の千日回峰行に入った。そして、1987年7月、60歳という最高齢で2度目の満行を達成した。2度の回峰行を達成したものは1000年を越える比叡山の歴史の中でも3人しかいない。

1990年、15年ぶりに下山。国内各地、中国五台山、エジプト・シナイ山などを巡礼。1995年にはバチカンローマ法王ヨハネ・パウロ2世にも謁見している。同年、仏教伝道文化賞(功労賞)受賞。晩年は、比叡山麓の飯室谷不動堂に住み活動した。2008年にはエジプトを訪問した。2013年死去。87歳。

千日回峰行と何か。天台宗比叡山延暦寺の回峰行は、7年かけて3万3千キロ余を歩く修行。

平安時代に相応が始め、過去51人が達成している。戦後は14人。深夜2時出発し、260箇所で礼拝する約30キロの行程を6時間で巡拝する。笠、白装束、草鞋履きである。

1-3年目は年間100日、4-5年目は200日、計5年700日を満行すると「堂入り」となる。入堂前に生き葬式を行う。足掛け9日間の断食・断水・断眠の4無行に入る。深夜2時に堂を出て閼伽井で閼伽水を汲み、堂内の不動明王にこれを供える。それ以外は堂中で真言を10万回唱える。満了すると行者は生身の不動明王である阿闍梨となる。これを機に自利行から衆生救済の利他行に入る。

6年目はこれまでの行程に赤山禅院往復を加えた1日60キロの行程が100日。7年目は200日。前半100日は京都大回りの84キロ。後半は比叡山中の30キロ。計算すると合計3万3千キロ余となる。

満了者は北嶺大行満大阿闍梨と呼ばれる。この人の言葉を聞こう。

・自信を持つには、何でもコツコツ一生懸命に続けることだ。

・寺ですることだけが修行ではないよ。誰にとっても、生きていることが修行なんだな。

・今日のできごとは今日でおしまい。「一日一生」という気構えで生きていくと、あんまりつまらないことにこだわらなくなる。

・呼吸に意識を集中していたら気持ちが静まってくる。それが、呼吸の大きな力。

・自分の身の丈にあったことを、毎日毎日、一生懸命やることが大事じゃないの。

・身の丈に合ったことを毎日くるくる繰り返す。

何にも変わらないようにみえても自分自身はいつも新しくなっている。

・自分自身が感じて味わって初めて本当の意味で「知る」ことができる。

・行の最中、力尽きてここで倒れて死んだら、ぼくの体は小山(おやま)の土になるんだなあと思った。それがうれしいような気がした。

・仏教でいう「感得」とは、“感じて会得すること”だけど、自分なりに消化して、心の糧にすることなんじゃないかな。

・むずかしい問題だなと思ったら自分の力でできそうな部分を見つけてそこからどんどん崩していけばゴールにたどり着けるんだ。

・ひたすら歩くのは、歩きながら座禅しているのと同じ「歩行禅」といわれるもの。

・今までこれだというものを見つけられなかった人は、今からでも「これをやろう」と決めて進んでいけばいい。大事なのは年齢じゃなくて、決めたことをやり続けること。

・大事なのは「いま」そして「これから」なんだ。

・余計なことを考えず、今、目の前にあることを一生懸命やるという気持ちだけをもっていればいい。そしてひとつ道を見つけたら、生涯それで生きていくと決める。腹をくくっていれば動揺したり迷ったりすることはない。

40歳前までは、特攻隊の生き残り、職場放棄、廃業、大借金、新婚妻の自殺、抜け殻のような生活を送る。僧侶になり、千日回峰行に挑む。その難行を2度行う。その間、7年づつで14年間という長さだ。それを満了した人の言葉は、やはり心に響く。

歩きつづけるのが歩行禅、縁のあった人の名を言い続ける立禅(金子兜太)、それならブログを毎日書くのも禅なのだ。ブログ禅か。一日一生の精神で書きつづけよう。腹をくくれば、迷うことはない。万日回峰行を実践中。