「福祉図解塾」ーーー題材は福祉に関する新聞社説

福祉図解塾の5回目。

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以下、塾生の学びから。

  • 皆さんのブラッシュアップされた図解の発表を見させてもらって、前回の手書きからPowerPointの図解に変換する苦労が覗えたのと同時に、PowerPointを使うと情報量がアップして、統一した色使いや囲みをなどの工夫で格段に見やすくなることを実感しました。自分の図解(宗教虐待)も、前回の助言をうけて私なりにブラッシュアップでき、前回の図解と見比べるとだいぶ見やすくなったように感じました。さらに良くするためには、時間軸や歴史の変遷、キーワードの重なりや関連性、繋がり、韻を踏んだ表現、図解の読み手にリアリティに感じさせる具体的な数字や事例を配置することで見る人の想像力を誘発することも図解には大切だと感じました。今回の図解(宗教虐待)と私の仕事の図解とを融合させるという宿題は未だ実感が湧かないですが、頑張って取り組んでみたいと思います。
  • 今回受講して特に印象的だったのは、図解にすると、文章の欠陥が見え、自分の考えが見えてくるということ、ひきこもりの話で、若いひきこもりの方々は実は「ネット」の世界と繋がっているということが印象的だった。 物事一つ一つを多角的に、思慮深く考えるといろんな見方が出来、それを人と対話、議論することで思考が深まるのだと感じた。また、本題の「図解」に関しては自分は前回受講できていないことが気になってしまっているのか、図解の技術が積み重なっていなく、手応えもなく、焦りを感じた。次回は心身ともに良い状態で臨みたい。 冒頭のAI技術についてだが、私は面接の記録や事務作業など人でなくても出来るものはコンピュータに委ねられたら良いと思う。心の琴線に触れるような、人間的な関わりは人でしか出来ないので、人が良いパフォーマンスで相談支援に望めるよう、改善を願う。
  • 前回の手書き社説をパワポで図解してみた。図解の基本が分かっておらず、色を抑えることなくたくさん使ったため、インパクトが大きい図となってしまった。インパクトが大きいと論理的なことが飛んでしまい、洗脳に近い、トランスを起こしてしまうかも。極めれば宗教の教祖だ!たくさん書いてあると考えられなくなるのと同じように、シンプルに書いて、考えられる余地を残した方がいいのかもしれない。また、「社説」などは素材であって、それをもとにして自分の考えを図解する方がいいようだ。例えば、社説に書いてある順番の①②③じゃなく、在宅→一時保護→施設里親といったように。また、パワポの作図機能を使いこなせるよう、そのスキルも伸ばしたいと思った。けど、シンプルに、色を抑えて、円や四角の大きさを変えて、線で結ぶ、太文字で強調する、矢印の使い方も工夫するなど、それぐらいのことで説得力がある図を描いてみよう!次回は、私の仕事と社説を統合した図をつくるということであるので、精一杯取り組みたい。
  • 今日も図解塾ありがとうございました。今回の課題ですが、3つ学んだことがあります。①専門用語を捉え直して、本質的なキーワードにするとわかりやすい②概念間の関係性を考え、図解にして構造化する(例:うつと不安障害は内的なもの↔︎反社会的行動は外的なもの)③関係性は矢印で結ぶ(前後関係や因果関係) 今後はこれを活かして図解していきたいと思います。特に、ものごとの本質理解と概念間の関係性を考えることがまだ足りていないのだなと実感しました笑。引き続き頑張ります!
  • 今回初めて手描きでなはくPowerPointで作成しました。前回は、社説そのままをまとめただけで何も深掘りせずに図解にしたので、自分自身でも「これってどうなんだろう?」と思いながら作成していたので、今回は色々と調べながら作成することで、自分の中でも理解が進んだ感じでした。みなさんからの嬉しいフィードバックでモチベーションが上がりました♪先生からのアドバイスで、まだまだ深いところが調べられていなかったと反省しました。もう少しブラッシュアップしてみたいと思いました。
  • 今回は、前回、新聞記事を図解した内容をアドバイスを受けて訂正したものを発表し説明を聞きました。                              内容は①宗教2世「悲惨な虐待から子供を救おう」(読売新聞)②「発達障がい児とどう向き合う」③「R4改正児童福祉法」社説(琉球新聞)④「2040年問題人口高齢者問題人口最多予測」⑤ひきこもり支援について⑥18歳の壁撤廃⑦成年後見制度が紹介され、感想や意見を共有しました。① 宗教2世「悲惨な虐待から子供を救おう」の説明は、今まであまり考えたことがなかったのですが、宗教2世による具体的な虐待についてわかりやすかったです。②  「発達障がい児とどう向き合う」は、発達障がい児について、学習障害や、注意欠陥多動性障害自閉症スペクトラムの割合や内容がわかりやすく、三種類の色別になっており理解しやすかったです。③ 「R4改正児童福祉法」では、背景に子どもから高齢者までの人物の影になった絵が、それぞれの人生のステージの出来事を考えさせられるような絵で良かったです。④ 「2040年問題人口高齢者問題人口最多予測」は、政府の政策の時間軸と地域軸が必要な視点だということがわかりました。
    ⑤ 「ひきこもり支援について」は、ひきこもりの実態と原因がよくわかりました。⑥ 「18歳の壁撤廃」は、児童養護施設や里親で育つ子どもの多くが、18歳の時に孤立や困窮、大学の進学等様々な課題を抱えていることがわかりました。⑦ 私は「成年後見制度」について説明させていただきました。新聞記事で不足している追加情報も図解に書き入れる必要があったり、制度の背景や全体像も書く必要があることがわかりました。今回もとても参考になりました。                                   次回は、自分の仕事についての図解と今回の取り組んだ「成年後見制度」の自分の仕事の関わりの図解を合わせて1枚の図解にして説明するのが課題です。
                                        
     
    すべてのリアクション:
    信田 力哉
     
     
  • 今晩もありがとうございました。あとという間に5回が終わりました.今日は久恒先生からAI合宿の報告をいただきました。生成AIとどう付き合えるかで随分、その人の仕事が変わりそう。私も追いつかねばとおもいました。その後、新聞記事の図解をバージョンアップして発表しました。私はえらい人達の文章だからと信じやすい傾向があるとわかりました.図解をすると疑問が出てくる!図同士のつながりに気を配る、どんな図形を使うかも意識的に。やればやるほど、課題が見えてきます。次回の宿題は、自分の仕事で作った図解と今回の図解を合体させてみる  です。 がんばりましょう!次回で6回が終わりますが、今後もご希望あれば深めていけそう。楽しみです!
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「名言との対話」9月3日。野田一夫「人と比べるな。過去の自分と比べよ」

野田 一夫(のだ かずお、1927年6月22日 - 2022年9月3日)は、日本経営学者事業家

立教大学教授、マサチューセッツ工科大学ポストドクトラル・フェローハーバード大学フェロー一般財団法人日本総合研究所初代所長、一般社団法人ニュービジネス協議会初代理事長、多摩大学初代学長、宮城大学初代学長、事業構想大学院大学初代学長などを歴任した。

野田先生の肩書には常に「初代」がついています。それは稀代のイノベーターであった証拠です。

私は40代半ばで野田先生に出会い、最初の著作『図解の技術』を高く評していただき、勤めていた日本航空を早期退職し、仙台の宮城大学で教鞭をとる幸運に恵まれました。その後、多摩大に移籍するときにも野田先生のお世話になりました。野田先生は私の生涯の恩師です。

一周忌に刊行した『野田一夫の大いなる晩年』(編集 野田一夫ファンクラブ)の「はじめに」と最後の野田先生の「ラポール」を掲載します。

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はじめに

野田一夫先生は、2022年9月3日に旅立たれました。享年は95でした。

野田先生は接した人たちに与える影響力の大きな人でした。影響力の大きな人を「偉い人」と呼びたいと思います。野田先生は周りに深く影響を与え、社会に広く影響を与え、そして長く影響を与え続けた「偉い人」でありました。

野田先生は、「ラポール」というハガキ通信を毎週1000人にのぼる友人・知人に配り続けていました。多摩大の創設前から始まったこのハガキ通信の内容は、多摩大学学長時代、宮城大学学長時代、いくつかの著書にまとめられています。

私たち仙台の野田一夫ファンクラブは、野田先生のこの影響を「永く」与え続けるための一つの試みとして、75歳から90歳までの「ラポール」を題材に、『野田一夫の大いなる晩年』という書物を編むこととしました。

それは2003年から2017年までの期間にあたります。「9・11」直後の21世紀初頭から、イラク戦争、2011年の「3・11」の東日本大震災、そして、2020年から始まる世界を覆ったコロナ禍の前までの期間になります。

国内では、総理大臣は、小泉純一郎安倍晋三福田康夫麻生太郎鳩山由紀夫菅直人野田佳彦安倍晋三の各氏の時代でした。

毎週届くこの「ラポール」を読みながら、野田先生のアクティブな日常が手に取るようにわかりましたが、今「ラポール」を改めて読むと、交流のあった各界の著名人や将来性のある若い友人などの人たち、海外や講演で訪れた国内各地の旅の様子、話題になっている本、そして日本の行く末についての感慨などが縦横に書かれており、見事な同時代史となっています。

この膨大な記録を年齢順に並べ直してみました。75歳の正月から始まり、喜寿、米寿を経て、90歳の卒寿で1000人が集まった品川グランドホテルでの大パーティで終わっています。「気」の人であった野田先生のアクティブな姿を目にする人は「人生100年時代」の晩年の生き方のモデルとして、大いに励まされることでしょう。

『野田一夫の大いなる晩年』を上梓することによって、「深く、広く、長く」影響を与えた野田先生の影響力を、さらに「永く」保ち続けることができれば嬉しい限りです。

              野田一夫ファンクラブ    久恒啓一

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「予想外の卒寿の宴」

                        2017年7月6日

健康に歳を重ねてきた私は、「卒寿の今年6月22日前後はいろいろお祝い会が重なるはず…」と覚悟はしていたが、その数は予想を遙かに上回った。「梅雨の最中でもあり、産業界各社の“株主総会の季節”でもあり」という理由で、先駆けは何と5月22日。これまで関係のあった5経済団体の共催。                  
 しかし一学究の身。数百人のささやかな会を予想していたが、当日来会者は千人近くに及んだのは、今も信じられない。石田純一君の司会で始まった会は、冒頭、小泉純一郎元首相の来賓代表挨拶、ジュディ・オングさんによる花束贈呈、友人代表茂木友三郎キッコーマン名誉会長の友情溢れる祝辞で始まった。   
 宴会前には、(若い頃、僕の赤坂オフィス来訪の常連で、早々と世に名を成した)“ベンチャー三銃士”のうち澤田秀雄HIS会長兼社長と南部靖之パソナグループ代表との対談が行われ、海外出張中の孫正義ソフトバンク社長は、わざわざビデオメッセージを送ってくれたではないか。衷心喜びを感じた次第。僕は何たる幸せ者!   
 我が人生を振り返れば、幼くして、日本の航空技術者を先駆けた父を憧れ、父に続こうとした青年時代までの一途な努力が、旧制高校時代の国家の敗戦で水泡に帰してから70年。心ならずも文科に転じ、社会人となり先ず大学教員としての職を得た時点でも、その職で人生を全うする気は全くなかったものだ。   
 だが「人生万事塞翁が馬」。早々と米国留学を果たした一先輩が土産にくれたP・ドラッカーの書に感激し、僕がその書の翻訳監修をしたことが縁で彼との交友が生まれ、MITに招かれ、2年間の研究生活の過程で“起業家”という絶好の研究テーマにも巡りあい…、僕の学者人生は終生活気に満ち満ちた。
  以来60年、素晴らしい起業経営者と相知り合い、多くを学び、学んだ成果を抽象化して書き語る一業界を中心に、人間関係をいろいろな分野で自然に広げ、かつ深めてきた。この間にどんどん増えた友人たちと、結婚満60年を迎えた妻と4人の子供たちに、心からの感謝を捧げつつ、本稿を終る。