三島由紀夫「人間の性(さが)」をぱらぱらとめくってみた。
- 作者: 佐藤秀明(編)
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2015/11/13
- メディア: 新書
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小説もそうだが、この人の切れ味のいい言葉に親しんでいた。
久しぶりに、古本屋で見かけた本を手に取った。
- 私がカメラを持たないのは、職業上の必要からである。カメラを持って歩くと、自分の目をなくしてしまう。
- 小説家とは、、、理想的には情感百パーセント、理智百パーセントほどの、普通の二倍のヴォルテージを持った人間であるべきで、バルザックも、スタンダールも、ドッストエフスキーも、そういう小説家であった。
- 鴎外の文章は非常におしゃれな人が、非常に贅沢な着物をいかにも無造作に着こなして、そのおしゃれを人に見せない、しかしよく見るとその無造作な普段着のように着こなされたものが、たいへん上等な結城であったり、久留米絣であったりというような文章でありまして、駆け出しの人にはその味がわかりにくいのであります。
- 小説家は人間の心の井戸堀り人足のようなものである。井戸荒から上がって来たときには、日光を浴びなければならぬ。体を動かし、思いきる新鮮な空気を呼吸しなければならぬ。
- 性や愛に関する事柄は、結局万巻の書物によるよりも、一人の人間から学ぶことが多いのです。
- 文体をもたない批評は文体を批評する資格がなく、文体を持った批評は(小林秀雄氏のように)芸術作品になってしまう。なぜかというと文体を持もつかぎり、批評は想像に無限に近づくからである。
- 私は、、、文章の最高の目標を、格調と気品に置いています。
- 日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目があい、或る経済大国が極東の一角に残るのであろう。
「名言の暦」11月29日
命日
- ジェームズ・クック1778:誰かに「ダメだ」と言われたとしても、それは最初の一歩にすぎない。習得しなければならないのは、その「ダメだ」と言うことばに打ち勝つことだ。
- 井伊直弼1815:一期一会
- 山本周五郎1967:人間がこれだけはと思いきったことに十年しがみついていると、大体ものになるものだ。
- 屋良朝苗1997:
- 中嶋嶺雄2013:
生誕