紀田順一郎『生涯を賭けた一冊』ーー田中菊雄『現代読書法』。松崎明治『釣技百科』。山下重民『新撰東京名所図会』

紀田順一郎が1年一冊のペースで積み上げている「書物のノンフィクション」の一冊。本は単なるメディアに過ぎず、人間とつながる契機を積極的に求めていかなければ、先へ先へと開く読書は不可能である、が動機となっている。

『生涯を賭けた一冊』(新潮社)の中で、3人の部分を読了した。紀田節に痺れる。

田中菊雄『現代読書法』。田中菊雄は1907年生まれ。本が好きな少年は高等小学校卒業前に列車給仕となり、代用教員を経て、中等学校英語科教員検定に合格、つづいて高等学校教員検定に合格し高校教授となり、『岩波英和辞典』(共著)を完成し、ついには山形大と神奈川大の教授になった苦学の人である。盲目になるまで読み続けよう。和漢洋の第一流の書物をまっしぐらに取りくもうとした生涯の読書法を披露した名著だ。自分と同じ若き独学者のために書いたのが『現代読書法』だ。「読書の方法」では、精読、多読、摘読、抄読、書き入れ、目録、カードなどのテーマとなっており、カードの稿は実戦的価値を高めた。実戦性と実用性が特色だった。著者の狙いは「読書百科事典」であった。

松崎明治『釣技百科』。1898年鹿児島県生まれ。早稲田大学美術科卒、朝日新聞美術部で「朝日グラフ」を担当、その後に学芸部で釣魚欄を担当。900ページで1ページも無駄のない本。2270枚。絶版。釣りの学者。釣を「釣技」にイメチェン。釣愛。、、、。

山下重民『新撰東京名所図会』。山下重民は1857年生。「風俗画報」を舞台とした15年間の事業だ。足で書く江戸東京地誌。現状のルポであり、歴史ジャーナリストとしての仕事だ。96歳で没。

このような名著の復活本の刊行もいいテーマではないか。

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2年前に閉じた近所の温泉が、「森の彩」という名前で復活したとのことで、浸かってきた。体が軽くなった気がする。

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「名言との対話」10月6日。牛山純一「時代を撮れ!時代を記録しろ」

牛山 純一(うしやま じゅんいち、1930年2月4日 - 1997年10月6日)は、日本のドキュメンタリー映像作家

早稲田大学卒業後、開局したての日本テレビに入社し、報道記者として活躍。日本テレビの後輩の池松俊雄の回想がある。1959年の皇太子明仁親王と正田美智子さんのご成婚パレードでは、準備が整った後で「今のカメラ位置は間違いだ! 国民が見たいのは美智子さんの顔だろう! 屋上のカメラは全部沿道に下ろせ。国民が見たいのは美智子さんのアップだ!」と言ってその通りにしたそうだ。また、企画力は抜群だったが、実は優れた営業マンでもあった、とのことである。「事実の並列とその解説に終わることを避け、ひとりの人間の目によって貫こう」とした「ノンフィクション劇場」、「すばらしい世界旅行」などを制作していく。テレビの中に「ドキュメンタリー」というジャンルを築き上げた人であり、また「映像人類学」という新分野の開拓者だった。

 牛山は「現場にじっくり腰をすえ、内側からえぐっていくドキュメンタリーの手法は、調査報道につながる側面があると思います。そこには、つくる側のメッセージがあります。力があります。これが私のテレビについての原点です。ところがテレビは報道機関ではなく、興行機関になってしまいました。「娯楽-視聴率-金もうけ」の道具です。ワイドショーは細切れの情報を伝えますが、メッセージはありません。精神が不まじめです。日本のテレビは、世界の中でとても特殊ではないか、と思っています。「志がない」という点です。戦後、日本という国が志を失い、その鏡としてテレビにいちばん鮮明に映し出されているのでしょうか。それともテレビが、この国の志を失わせてしまったのでしょうか」と嘆いている。

 有楽町読売会館8階に「日本映像カルチャーセンター」を設立し、世界の優れたドキュメンタリー作品を収集保存し定期的に公開するスペースとしていた1983年川崎市が「現代映像文化センター構想」を発表し、牛山純一が映像資料の収集委員を委託され、1988年開館の「川崎市市民ミュージアム」(2019年の台風19号の被害で休館中)として結実した。牛山が手がけたテレビドキュメンタリー800本が寄贈され、ビデオ上映会が催されている。また、小学6年生から旧制中学卒業まで住んだ茨城県竜ケ崎の市立中央図書館には牛山ライブラリーがある。

「テレビはアップだ!」「アップで勝負!」とはっぱをかけた牛山の口癖は「時代を撮れ!時代を記録しろ」だった。作家性と署名性を抜きにした映像記録はあり得ない、が牛山の思想であった。表現者のテーマの多くは「時代」である。樋口一葉も、「あの源氏物語は立派な作品ですが、書いた人は私と同じ女性です。彼女が仏の生まれ代わりだとしても、やはり人間である以上、私と何の違いがありましょう。あの作品の後に、それに匹敵する作品が出てこないのは、書こうと思う人が出てこないからです。今の時代には今の時代のことを書き写す力のある人が出て、今の時代の事を後世に書き伝えるべきであるのに、そんな気持ちを持った人が全くいないのです」と書いている。

文学、映画、写真、演劇、音楽、絵画、、、という芸術作品の多くは、時代を書く、時代を描く、時代を写す、時代を撮る、をテーマとしていると言ってもいい。テレビというメディアで、時代を撮り、時代を記録した牛山純一の仕事は残る。自分が生きている「時代」を強く意識しよう。