長野県上田市へ遠足ー真田神社、真田城。Value books「NABO」。吉池実家。シャトー・メルシャン椀子ワイナリー。

深呼吸学部(橘川幸夫学部長)の長野県上田市への遠足に参加しました。

深呼吸学部の仲間と、桜神宮の吉池さんの屋台の常連の合同遠足。

この写真はシャト・メルシャン椀子ワイナリーでの記念写真です。

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今日のヒント「幸福」。 真田神社でみつけた「幸先詣」

「幸先詣」とは「幸先よく新年を迎えられますように」という意味が込めれらている新しい行事。「年内に神様へ今年一年間の神恩をに感謝し、新たな年のご加護を願うもの」で。新年の「幸(さち)」を『先(さき)』戴くという意味。

これは新型コロナの予防対策としての新たな生活様式の試みで、12月いっぱいを幸先詣の期間としている。(神社のコロナ対応の新機軸のひとつ。神様も大変だ)

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真田城。

三吉 米熊(みよし よねくま、万延元年6月10日1860年7月27日) - 1927年昭和2年)9月1日)は戦前長野県蚕業教育者。長野県小県蚕業学校(上田東高等学校)初代校長、上田蚕糸専門学校信州大学繊維学部)教授。長野県技師として顕微鏡による蚕病検査を普及させ、上田に日本初の本格的な蚕業専門学校を創設した。

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銅像は1951年(昭和26年)10月7日再建されたもの。

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赤松 小三郎(あかまつ こさぶろう)1831年5月15日ー1867年9月30日)は、幕末期の兵学者・政治思想家。信州上田生まれ。勝海舟の従者となり、長崎海軍伝習所で学ぶ。オランダの兵書『矢ごろのかね 小銃彀率』を翻訳し出版。薩摩藩の暗殺で死去。

   
   

 

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語録。

『如何に賢明なる人とても神でない限り思ひ違い、考へ違ひがある。又少数の人が事を行ふ場合、感情、誤解、憎悪が附随するから失態がある。是非これは多数政治に據らねばならぬ――。』

『外国の亡国の例を見るに、皆此の身分や階級の為、人材を野に棄て、貴族と称する輩が自己の無能を顧みずして専横を振舞ふたにある。(中略)多数の選挙によって選んだものを宰相とするのである。英国式を参考として日本の国柄に合はせるがよい。』

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上田市内を散策。

真田十勇士

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Value booksの「NABO」。

2014年、本拠地である長野県上田市に、バリューブックス初の実店舗である「NABO」をオープン。120万冊におよぶ古本の在庫。2017年には、無書店地域へ本を届ける移動式本屋「ブックバス」が誕生。そして2018年、市場価値がつかず古紙回収にまわしている本を販売する「バリューブックス・ラボ」がオープン。

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雰囲気がいい。選書の「眼」がいい。こんな本屋が近くに欲しい。

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吉池さんの実家を訪問。常会所で昼食。お母さんが漬けた野沢菜にみな満足。

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シャトー・メルシャン椀子ワイナリーという新名所を見学。

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「名言との対話」12月19日。木元教子「知的に健康に生きていきましょう」

木元 教子(きもと のりこ、1932年12月19日 - )は、日本の評論家ジャーナリスト

北海道苫小牧生まれ。満州吉林省に移住。帰国後に立教大学法学部卒業、TBSに入社。その後フリーとなり、ニュースキャスター、司会などを経て、女性、環境・エネルギー、高齢社会、農業等、多方面の問題について文筆活動、講演活動の傍ら、テレビ番組のコメンテータとしても活躍するジャーナリスト、評論家。

『わたしの人生、今が一番』(海竜社)を読んだ。副題は「愛・生きがい・自分育て 女50歳からの自己実現」。木元教子、61歳のときの著書だ。

「時は流れない。それは積み重なるだけだ」という言葉が心に響いているのだろう。この本には二度出てくる。60代を迎えた『007』のショーン・コネリーが、バーで、あるいは自宅でオンザロックで「サントリーエスト12年」を飲むシーンで流れる言葉だ。

この本は、日本経済が坂の上を登り切った直後の1993年に出ている。日本が世界のGDPの18%にまでなったのが1994年であるから、バブル崩壊はあったにせよ、絶頂期にある時期だ。自分育て、自己実現などの言葉が躍った時代だ。

二つの言葉を対比させるのが木元教子の書き方の特徴だ。

例えば、「相対評価から、絶対評価」へ。他人との比較で自分の位置を評価するのではなく、自分自身の価値観で自分を評価しよう。

例えば「be動詞(受け身の人生)から、do動詞(能動の人生)」へ。鬱々とした日々を捨て、立ち上がろう。

例えば「「もう」から、「まだ」」へ。「もう、〇〇歳」で自分を限定せずに、「まだ〇〇歳」と考え、新しい自分を見つけよう。

木元教子自身は、45歳で転機を意識する。それなりの充実しているがマンネリを感じるようになる。「私の人生、これでいいのか」、である。木元は大学に入って学びを深めようと立ち上がる。「絶対評価」「do動詞」「まだ」を実行し、新たなテーマを引っ提げて再び世の中へ登場する。

この本の最後あたりに「銀の会」の紹介がある。同世代の女性の会だ。科学者の猿橋勝子猿橋賞)や、ホームエコノミスト料理研究家女子栄養大学学長、社会党副委員長、エッセイスト、主婦連副会長、フードドクター、建築家、、、など多彩なメンバーだ。この会の合言葉は「知的に健康に生きていきましょう」だ。カラダとココロの健康ということになる。高齢社会は、このあたりがわかりやすい気もする。「わたしの人生、今が一番」とはいかないかもしれないが、本日89歳を迎えた木元教子からのメッセージを受け取ることにしよう。