週刊「現代」10月8日号にインタビュー記事ーー「名言を声に出す、名言を耳で聴く」という流れ

週刊「現代」10月8日号にインタビュー記事。テーマは「昭和の名言」で認知症を防ぐ」。「心震える珠玉の言葉で脳が若返る」。名言を音読するといいという趣旨です。昨日のブログで紹介した「聞いて味わう 人生の名言150」もあり、「名言を声に出す、名言を耳で聴く」という流れがでてきたようだ。

「偉人の格言に詳しい久恒啓一多摩大学名誉教授はこう語る。「名言の効用は何かというと、励ましと慰めです。自分が置かれている状況によって、響く言葉は違います。その都度、いろいろな名言を意識しながら読んでいき、自分に最も響く言葉を探してみてください」。

インタビュー取材で、趣旨を深く理解していなかったためコメントが少なかった。私は「名言」から選んだのだが、記事は「人物」から選んでいた。そういうニーズだったのだ。

以下、準備した名言。テーマをもらうと、新たな視点から発掘、編集ができるので、また一つ蓄積ができ、ありがたかった。

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  • 平松守彦 リンケージ(人々とのふれあい、つながり)こそが究極の生き甲斐なんです。
  • 小沢昭一 趣味を持っていることが大切なんです。趣味といいますのは、人生の中に、別の小宇宙を持つことでありまして、生き方自体がふくよかで、重層的になります。生き甲斐すら、つかめるんじゃございませんか。
  • 安野光雅 私は薬で命をながらえることより、絵を描いて命を充実させることをおすすめしている。 
  • 渡辺京二 人間が生きていくうえで何が大事か。どんな異性に出会ったか、どんな友に出会ったか、どんな仲間とメシを食ってきたか、これに尽くされると私は思います。
  • 五木寛之 ピンピンソロリがいい。

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  • 野上弥生子 私は今日は昨日より、明日は今日よりより善く生き、より善く成長することに寿命の瞬間まで努めよう。
  • 会津八一 日々新面目あるべし。
  • 曽野綾子 残っている仕事は重要なことが一つだけだ。それは内的な自己の完成だけである。自己の完成のために、まさに神から贈られた時間を手にしているのである。
  • 童門冬二 起承転転。最後まで緊張して生き抜く。終活はない、転活があるだけだ。
  • 羽田健太郎 来年は今年よりちょっとだけいい音楽を弾けるようになりたい。それだけを思って走っています。
  • 森瑤子 積極的に、肯定的に生きている人は、やっぱり、毎日が華やぎ、いいことが起こっている。

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  • 村岡花子 自分がいなくなったあとで、子供たちから「良いお母さんだった」としみじみ思われるような一生を送れば、母として最も幸福なことでありましょう。
  • 金子みすず みんなちがって、みんないい。
  • 小林秀雄 物忘れがひどくなったのが呆けた事なら、呆けた事など大した事ではあるまい。詰まらない事を、あんまり覚えすぎたから、いっそさっぱりしているようなものだ。

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  • 遠藤実 人の夜に涙の川があり苦労の山もある。その川を渡るとき、その山を越えるとき、歌と言う友がいる。
  • 柳田邦夫 人生でだいじなこと、そういうだいじなことは、すべて絵本の中で語られている。
  • 越路吹雪 たくさん恋をしたし、外国へも行きたいだけ行ったし、歌いたい歌もたくさん歌えて、もうこれでいいよ。

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 「名言との対話」10月4日。日野原重明「しかし、人間は生き方を変えることが出来る」

日野原 重明(ひのはら しげあき、1911年(明治44)10月4日 - 2017年(平成29)7月18日)は、日本医師医学博士聖路加国際病院院長 。

1970年3月31日の共産主義者同盟赤軍派による日航よど号ハイジャック事件が起こる。日本初のハイジャックであったこの便に乗り合わせた聖路加病院内科部長の日野原重明は、犯人が「この飛行機はハイジャックされた」と乗客に放送すると、「ハイジャックとは飛行機を乗っ取ることです」と解説している。弟子吉利和東京大学医学部教授、犯人に教え子がいた)と、乗客の健康管理にあたった。韓国金浦国際空港で解放される。事件に遭ったのを契機に内科医としての名声を追求する生き方をやめた。このとき日野原は59歳、助かった日野原はこれ以降人生の目的を一変する。

日野原の医学観を聴こう。「医学とはサイエンス(科学)の上に成り立っているアート(芸術)である」日野原は優秀な医師であり、48歳の時に、90歳を越えた最晩年の鈴木大拙を診ている。婦人解放運動家・政治家でセンテナリアンだった加藤シズエは102歳でガンの手術をする。見舞いに来た日野原重明先生から「この病院(国立がんセンター)はじまって以来、最高齢の方の手術が、こんなにうまくいって、本当によかった」と手を握って喜んでくれたそうだ。

しかし、何といっても、日野原重明が有名になったのは、高齢者としての生き方だった。90歳の時書いた著書『生き方上手』は120万部のベストセラーになり、この時点で日本最高齢のミリオンセラー作家となった。

「本当に学ぶべきなのは、問題とどう取り組むか、どういう戦略を立てるべきかということである」「死はグッバイではなく、シー・ユー・アゲインなのです。天国でまたお会いしましょう、というしばしのお別れです」

「文藝春秋」に載っていた「健康心得」10箇条が参考になる。1.小食(「腹七分)。2.植物油。3.階段は一段飛びで(絶対にエスカレータには乗らない。競争する)。4.速歩。5.いつも笑顔で。6.首を回す(風呂で首を上下左右に回し、最後は耳が水面に触れるまで横に倒す)。7.息を吐ききる(うつぶせで眠ると腹式呼吸になり、いびき、肩こり、腰痛がなおる)。8.集中。9.洋服は自分で購入。10.体重、体温、血圧を計る。

アルフレッド・テニスン(19世紀の英国の詩人)「 私はこれまで会ったすべての人の一部分だ。」。日野原が影響を受けた言葉である。日野原重明自身も多くの日本人に影響を与え続けた。例えば、「文藝春秋」2017年9月号に、柳田邦男が、「追悼 日野原先生から学んだ「生と死」を書いている。そこから日野原語録を拾ってみる。「すばらしい言葉に出会ったら、必ず原典に当たり、その人物と文脈を理解するようにすると、好きな文句は必要な時にすっと出てくるものです」「いくつになっても創めることを忘れない」「年をとること自体が未知の世界」。作家の童門冬二は「高齢者になったら、そばにいてくれるだけでいい人になりましょう。聖路加病院の日野原先生のように、という、私なりの生涯学習の目標がある」 。日野原を励みにしながら小説の執筆を続けている。

2010年11月7日、新横浜の新幹線ホームの待合室で偶然に隣に座って言葉と名刺を交わしたことを思いだす。その時、「こんなことをやっています」ともらった名刺は、「新老人の会」の代表という肩書だった。75歳以上を新老人と呼び、自分自身を健康情報の研究に活用しようという団体だ。この時は、99歳だったのだ。その75歳から30年という歳月を日野原先生が生き抜いたのは見事だ。新老人の生き方のモデルである。

やるべき崇高な仕事があり、その生き方が多くの人に夢と希望を与える壮大な人生だった。日野原は100歳を越えても、進んでいく。今までやったことのないことをする。会ったことのない人に会う。常に自己革新を続ける。103歳で初めて馬に乗る。104歳の誕生日には100歳から始めた俳句を104つおさめた初めての句集を出版する。そしてフェイスブックも始めている。3年先まで埋まっている手帳を持っていたことにも驚いたことがある。前半は自分のため、後半は人のために生きたのである。二つの人生を生きた、人生100年時代のモデルである。「大人期」(95歳から110歳)まで活躍した人生は見事だ。105歳287日まで生き切った日野原重明は聖なる人になった。

「しかし、人間は生き方を変えることが出来る」は、還暦を前に遭遇したハイジャック事件で命拾いをし、神からプレゼントされた命を、新たな使命を以て生きることを決心した人の言葉である。この言葉を頭において、人生100年時代を生きたいものである。