童門 冬二(どうもん ふゆじ、1927年〈昭和2年〉10月19日- 2024年〈令和6年〉1月13日)。私はこの作家のファンで、著書は多く読んでいる。昨年亡くなっていたことを知らなかった。享年97。手元にあった本を再読してみた。
- 今、日本で失われつつある『日本の心』の回復という角度から話したいのです。
- 戦後の歴史教科書は偏っている。人間が出て来ない。
- 偉い人の存在を認めても、その偉い人の偉さが、今生きている我々に役立たなければ、何の意味もない。
- 自分の解釈する人物像。
- 部分の中にキラリと光る一行があれば、それを拡大する。
- 「たとえ世界の終末が明日であろうとも、わたしは今日リンゴの木を植える」(ルーマニアの作家、コンスタンチン・ゲオルギュ)
- リーダーの風度。風格・人望・愛嬌・魅力・カリスマ性。気(オーラ)
「名言との対話」。童門冬二「起承転転。最期まで緊張して生き抜く。終活はない、転活があるだけだ」
東京下町生まれ。海軍少年飛行兵(予科練)の特攻隊に入隊するが、出撃しないまま終戦を迎える。東京都に入庁し、目黒区役所係員から、東京都立大学理学部事務長、広報室課長、企画関係部長、知事秘書、広報室長、企画調整局長、政策室長を歴任した後、美濃部都知事の辞任に附き合って、1979年に51歳で退職し、作家活動に専念する。広報室長時代に美濃部知事から、やさしい文章を書くことを教えられ、知事に惚れこんで仕事をしていたという。
「ボクの鉱脈は30年あまり勤めた都庁時代にあった。たとえば「組織と人間」の問題。こうしたテーマを歴史小説の形を借りて現代に生かすことを考えたのです。上杉鷹山だって美濃部さんに、ちょっと似ているでしょ(笑い)」。上司に惚れこんで仕事をしていたというから、美濃部は相当に優れた人物であったのだろう。
都知事選で「東京で自慢できるものを3つ挙げてほしい」との質問に自民推薦の警視総監経験者の秦野候補は「皇居、地下鉄、高速道路」と答えた。美濃部は「そばとウナギ、きれいな若い女性、そして半蔵門付近のお堀端」と回答して都民の共感を得たというエピソードを思い出した。
童門冬二は17歳で終戦を迎えた。特攻隊から戻った少年に対し世間の目は罪人を迎えるようで、童門は傷つきグレた。その傷を癒したのが太宰治の著書であり、その純粋さ優しさに童門は取り憑かれた。童門冬二にとって太宰治はデーモンであり、ペンネームの童門はデーモンから来ている。デ-モンとは、悪魔、悪霊、半神、魑魅魍魎などを意味する。デーモンという言葉はよく聞くが、魑魅魍魎と理解しておこう。その童門の心の師は山本周五郎と太宰治である。
今までこの人の本はよく読んできた。
「自分の中にある鉱脈を掘ればいい」「人物の探求に終わりなし」「起承転転」「少しはまともに働きながら、こつこつ自分の文学を育てていこう」「現地を訪ね、さらには郷土史家の書いたものをどっさり買い込んでネタとして活用」「汗とか油を流して努力を続ける人間、つまりプロセスに生きている人間が僕は好きなんです」 「日々ニュースになる事件や出来事の中には必ず小説のヒントがある」「地方の振興のために命を注ぎながらも、歴史の表舞台に出ることのなかった人たちを掘り起こす」「歴史という無限の鉱脈を掘ることに一生懸命になっている自分がいた」「地方に眠る武将や儒学者などを発掘するようになった」「どこまで経ってもいまの自分に満足せず人生を完結していない」
2011年に訪問した細井平洲記念館の名誉館長は作家の童門冬二だったので驚いた。ビデオで童門は「平洲は鷹山にあなたは山の上の一本松だ。風当たりが強い。しかしあなたは幹である。幹がひっくり返ると枝もだめになると「勇」を説いた」と語っていた。改革にあたるリーダーに必要なのは風を受けて一人で立つ勇気である。
童門冬二「なぜ一流ほど歴史を学ぶのか」(青春新書)を読了。軽い新書なので気安く拾い読みした。「飛耳長目」。「自分の歴史観。歴史の氷を溶かして、自分の生き方に役立たせる。自分が生きる道しるべ。同時代を生きるという実感」「山川出版社「県の歴史」シリーズと「県の歴史散歩」シリーズ。イモヅル式歴史探究」。「自分の生き方を後押ししてくれるような知識を得て、パワーを得る」。「現役時代にやりたくてもやれなかったことに専念」。「新井白石は、歴史と経済。自伝「折たく柴の記」」「海の果ては空と海がくっついている。天孫降臨は海の彼方からどこかの民族が船に乗ってやってきたのだ。それが空から下ったように見えた」。「起承転転」。「恕。相手の立場に立ってものを考えるやさしさと思いやり」。
この人の著作を何冊も読んでいるし、勤め人を終えたのちに、「組織と人間」というテーマで歴史小説に挑みベストセラーを書くという姿勢に共感を覚えている。童門はどういう人生観と工夫を行っていたのだろうか。
- 在職中から歴史雑誌(同人誌)を舞台に休日を使って習作活動。
- 楕円思考、理論と実践、知識と行動、不易と流行、ゼネラリストとスペシャリスト、、。どちらかに偏らずに、どちらの視点や思考法も併せもつ。二者択二。
- 同時進行。
- 人生で大切なことはすべて映画から学んだ。小説を書く際の肥沃な肥料。
- 「なら人間」を目指せ
- 「自分を高く評価して、謙虚に生きたまえ」。主体性と協調性。
- 仕事場は自分を磨く神聖な場所だ。
- 平凡を重ねてついに非凡にいたる。
- 歴史とは人間の生き方、死に方の集積。50代からは歴史を学ぶのに向いている。
- 山本周五郎の作品を読んで人間研鑽や人格修行に励む。情を学ぶ心の師匠。
- 太宰治。人の喜びや感動に奉仕する精神。文学の師匠。
- 一文のセンテンスは最長でも40字までを限度とせよ。(丹羽文雄)
- 自分の手足を使って得た「なま情報」に勝るものはない。活字情報は「干物」。
- 話法は落語から学んだ。6代目三遊亭円生。3分に一回は笑いをとる。
- 「お前の敵はお前だ」(石川淳)
- 「人の多くは死ぬべきときに死んでいく」
- 「たとえ世界の終末が明日であろうとも、私は今日、リンゴの木を植える」(コンスタンチン・ゲオルギュ)
童門冬二は「高齢者になったら、そばにいてくれるだけでいい人になりましょう。聖路加病院の日野原先生のように、という、私なりの生涯学習の目標がある」 。現代では90歳を超えてベストセラーを連発し、105歳で先日亡くなった日野原重明先生を励みにしながら小説の執筆を続けている。
「起承転転。最期まで緊張して生き抜く。終活はない、転活があるだけだ」。「起・承・転・転。終身現役、命の最後の一滴まで燃焼させたい」。
高見順の『起承転々』という作品のタイトルを人生の指針としている。そしてその「起承転々」という考えに感心し、使っている私がいる。人は一つ前の世代の先人から学びながら生きていくのだと改めて思った。
童門冬二は、自衛隊の幹部学校で「徳育」という講義科目を持っていた。歴史上の人物で当てはまる人を探して紹介している。道徳は、人物論で教えるしかないという考えだ。私の「名言との対話」への援軍を得た思いがする。
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9時半:秘書とスケジュール確認
21時:「革命」編集会議
22時:図解プロセッサ開発ミーティング
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「名言との対話」3月24日。坂田俊文「宇宙考古学で人類の未来を語りたい」
坂田 俊文(さかた としぶみ、1931年10月2日 - 2020年3月24日)は、日本の情報工学者である。東海大学教授、宇宙航空研究開発機構技術参与。享年88。
千葉大学工学部卒。東大助手を経て、1970年東海大教授、1985年同大情報技術センター所長。1996年地球科学技術推進機構初代機構長。地球観測衛星ランドサットの画像処理システムを開発する。地球環境の監視からハイテク考古学まで手がけた。人工衛星による宇宙からの地球観測や解析等を手掛けた画像処理工学における第一人者として知られている。
宇宙飛行に関わる重要な仕事にも多く関わっており、毛利衛、向井千秋、両宇宙飛行士がスペースシャトル搭乗時に行ったハイビジョンカメラでの撮影をNASAジョンソンスペースセンターから誘導・指示した。
画像情報工学のパイオニアである。衛星画像をさまざまなことに活用しようとする。災害、事故の監視警報。砂漠化も森林資源破壊も汚染も一目瞭然である。「衛星画像で見れば地球は人類のかけがえのない家とおのずと気付くはず」と強調する。
著書に『「地球汚染」を解読する』(情報センター出版局、1989年)、『ハイテク考古学』(丸善、1991年)、『「太陽」を解読する』(情報センター出版局、1991年)がある。
考古学というのは、現地へ入り、古文書を見ながら穴を掘ったり物のカケラを拾い集めるのが仕事である。
坂田は高度五百キロから調査しようとした。人工衛星から送られてくる地球観測データを画像処理する仕事に励み、「宇宙考古学」を提唱した。『現代』(96年7月号)「宇宙考古学で人類の未来を語りたい」のインタビューでは、人工衛星から送られてくるデータをコンピュータで解析し密林や地中に埋まった遺跡を探査したり古環境を浮び上がらせようという試みについて語っている。チンギス・ハンの墳墓の探査や法隆寺金堂の壁画の復元などを手がけた。エジプトのナイル川に沿ったピラミッド群のなかから未知の物を発見、発掘を行った。
坂田先生にはJAL時代に会ったことがある。「航空文明」というテーマで大がかりなイベントを企画したとき、相談に行った。このとき、宇宙からの画像を見せられて驚いたこと、そしてイベントの肝は膨大な入場者の胃袋をどう満足させるか、つまり「食」であると喝破されて、さらに驚いたことがある。スケールの大きさと人間への理解の深さを感じ感動した。
考古学は、生命科学の進展によるDNA解析による遺跡の分析、宇宙か送られてくる画像の高度処理技術からの視点という情報科学の両面から、革新が行われつつある。人体という小宇宙、と大宇宙から人間の歴史をみる視点は飛躍的に高まった。その一翼を坂田は担った。「宇宙考古学」という鮮明な旗は、可能性に満ちている。