早川洋平『会う力』(新潮社)を読了。3月15日刊。
早川洋平は20代のサラリーマン生活を経て、30歳で「こんな人生でいいのか」と」発起し、「プインタビュアー」を目指して起業する。それからコロナ禍を含め15年間ひたすら人に会い続けた。海外は50ヵ国以上、そしてその数、実に2000人以上。
人付き合いが苦手で、出不精で、最近まで飛行機恐怖症であったらしい。それを克服したという物語でもある。
インタビューという難しい仕事を職業にした早川が、時系列を軸に体系としてまとめたのがこの本だ。「アポの教科書」と銘打っているが、人生はアドベンチャーととらえ、果敢に著名人にも挑戦している。その動機は、インスピレーションとモチベーションというから、若い人向けの人生の教科書という面も持っている。
羽生結弦、吉本ばなな、高田賢三、ケヴィン・ケリー、武邑光裕、石田衣良、柳沢大輔、関口一郎、高田明、松田公太、池谷裕二、中山豊光、森保一、池坊専好、林真理子、中井美穂、宇野亜喜良、干場義雄、コシノジュンコ、竹内スグル、多和田葉子、鳥越俊太郎、小出裕章、、、、。この本の中でエピソードとともに登場する名前には驚かされる。早川は彼らに甘えずに、相互の負担を軽くし、付かず離れずの関係を保っている。それは人間関係の極意だ。
プロインタビュアーとして得た内容やインタビューを「LIFE UPDATE」というポッドキャスト番組やラジオというメディアで流している。こういうメディアの存在も大事だ。「会いたい人リスト」、「質問リスト」、「学んでいる人や番組」、「配信メディア」などのノウハウも参考になる。
個人で屹立しようとする一匹オオカミの仕事術であるが、組織で仕事をしてきた私だったらどう書くかなあとシミュレーションをしながら読んだ。私も本の出版にあたって取材、インタビューをしたことが一番面白いと感じてきた。山本冬彦さんのリスト、知研という装置、野田一夫という師匠。人生鳥瞰図。発表の場。適切な距離感。、、、。
この本には「長く第一線に立ち続ける人」という言葉が何度か出てくる。そういう人の生き方を知りたいと思うことが、かなりのエネルギーを必要とするインタビュアーの原動力だろう。
プロインタビュアーとして人に会い続けるうちに、早川は2013年に「ライフワーク」に目覚めている。それは「戦争体験者のインタビュー」だ。戦争の記録は、これまでも文学、映像などで数多く語られているが、体験者の記憶を残そうとするビッグ・プロジェクトである。戦争体験者が数少なくなっているから、時間と競争しながら今取り組むしかない。ここからも大きな成果が出てくることを期待される。
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朝:編集長ミーティング
昼:メタモジ社と打合せ
夜:図解プロセッサミーティング
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「名言との対話」3月28日。氏家齋一郎「70年以上生きてきて、何もやってこなかった男の寂しさが分かるか」
氏家 齊一郎(うじいえ せいいちろう、1926年(大正15年)5月17日 - 2011年(平成23年)3月28日)は、日本の実業家。享年84。
東大時代は共産党の活動家だったが、革命至上主義で主体性のない運動があるはずがないと失望し離党している。大学では後の歴史学者・網野善彦と読売新聞の渡部恒雄が親友だった。卒業後は読売新聞入社し、経済部長、広告局長、取締役、常務取締役。日本テレビ副社長、社長、会長。日本放送連盟会長。
父から技術者になれと言われた氏家は零戦をつくった堀越次郎に憧れて戦闘機の設計、製造をやりたいと思ったが、敗戦でかなわなかった。こういう人も私も数人知っている。野田一夫先生は、飛行機の設計技術者を志したが、敗戦で航空学科がなくなり、やむなく文科系に変えている。
学生の頃から刹那主義だったという氏家は盟友の渡部恒雄に誘われて新聞記者になった。記者は目先の競争の勝ち負けが大事で、猟犬のごとく仕事をし、経済部の特ダネ記者として有名だった。渡辺は政治部のエースだった。トップの交代をめぐる確執から、氏家は日本テレビに転じた。雌伏の期間を経て、社長に就任している。徹底した改革を行い、ライバルのフジテレビをしり目に、1994年から2003年まで年間視聴率4冠王を達成している。
新聞の役目は体制批判だと思っている人が多いが、新聞は反権力であってはいけない悪いところは徹底的に叩くが、良いところは賞揚する。新聞の役目は反権力だけじゃなくて、非権力だ。以上が氏家の新聞観であり、現在も続く読売新聞の立ち位置だ。
しかし、ジブリの鈴木敏夫に観察によれば氏家は「反権力の思想を持ちつつ、権力の座に居座る」人でもあった。
立身出世を果たしてきたとみえる氏家は、「この世の中で大成した人で、人を騙して上がってきたっていう人いないもの」と言う。そして意外にも「俺の人生、振り返ると何もやっていない」「死ぬ前に何かやりたい、、、」と語っている。刹那主義で目前のテーマや闘いに勝ち続けて来たが、しかし何も残せなかったと振り返る寂しい姿がみえる。氏家には自らの存在証明としてのライフワークがなかったのだ。
公人として業界の最高峰に登りつめたキャリアの成功と、個人としてのライフワークへの取り組みは別のものなのだということがわかる。盟友の渡辺恒雄は、90代で亡くなるまで「公人」を貫き通している。渡辺はどう考えていたのだろうか。
氏家は共産主義者の匂いの残る高畑勲監督の「かぐや姫」に「大きな赤字を生んでも構わない。金はすべて俺が出す。俺の死に土産だ」と、日本テレビの20億円を注ぎ込んだが、その完成をみることはできなかった。作品には「制作=氏家齋一郎」が書き込まれている。それが残ったのである。