図解塾ーー満員電車。芸者。祭り。

図解塾ーー満員電車。芸者。祭り。

塾生の学び。
本日もありがとうございました。今日は初め人数が大変少なく、図解プロセッサの紹介だけで終わるのかと思っていたら21時を過ぎて次々と集まってきて、図解プロセッサの紹介+3つの図解の紹介という、結果的に盛りだくさんの内容になりました。「満員電車」については、さすが佐高信さん、「社畜」という言葉はまさに高度経済成長を表している言葉でした、苛酷だった通勤ラッシュのことを思い出させてくれました。前夜上司と飲み歩いてべろべろになっても翌朝には満員電車に耐えながらちゃんと時間通り会社に行くという、まさに昭和時代の生き方そのものでした。「芸者」については自分が担当しましたが、元の文章を図にするだけではつまらないので、舞妓はんと芸妓の違いなど疑問に思ったことや、「芸者が日本文化の重要な位置を占めている」の具体的な内容について小説や映画、TVドラマなどについても生成AIに助けてもらって調べました。また、サザエさんに出てくる団体旅行で芸者を呼ぶ話やシーボルトが愛したお滝さんの逸話など取り入れてみました。.

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電話:藤原先生

福岡伸一動的平衡」「崩壊と合成」

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「名言との対話」4月23日。島森路子「シゴトやタチバを利用乱用して、自分の好きな人と好きなことをして遊ぶのが、いまの私流、「広告批評」流である」

島森 路子(しまもり みちこ、1947年1月17日 - 2013年4月23日)は、日本の広告評論家・エッセイスト・編集者。享年66。

立教大学卒。講談社で児童書の編集をしたのち、天野祐吉のマドラ・プロダクションに入る。1979年、月刊誌『広告批評』の創刊に副編集長として参加。糸井重里、川崎徹、仲畑貴志などコピーライターたちの登場により「広告がブームになった」1980年代を、広告ジャーナリストの観点から見つめ応援した。1988年より天野祐吉の後を受けて2009年の休刊にいたるまで編集長として活躍した。

この人の名前と顔は様々な媒体で見かけたが、よく知らなかった。天野祐吉が表紙を装飾した『夜中の赤鉛筆』(新書館)というエッセイ集を読んでみた。

師匠は14歳年上の名コラムニスト・天野祐吉である。広告に対する「シビアな目線」を学んだ。また同時代を「言葉」の問題として生きている同志として、橋本治リービ英雄村上春樹高橋源一郎を挙げている。

「昭和のキャッチフレーズ」という項では、天野の推す戦前・戦中の「欲しがりません勝つまでは」と、戦後の西武百貨店の「おいしい生活」を挙げている。

テレビのコメンテーターについては、視聴者代表と野次馬が本来の立場であり、乱反射と相対化が役割だとして、専門家や権威を批判しない人たちを揶揄している。

  部下だった河尻亨一は、「 頑固でしなやか。潔癖でユルい。姉ぽくもあり、母ぽくもあり、学級委員長ぽくもあり、いろんなキャラがコロコロ入れ替わるようで全体として矛盾がない」と追憶している。そして「いまとはどんな時代なのか?」が口ぐせだったと語っている。

島森路子は「私の文章修業は、文章の修業というより、そこに何を見、何を書くのかの目を鍛えることの修業だった」と20代の修業時代を総括している。文章を書くということは、何を見るかが前提だ。見る、観る、発見する、書くというサイクルで文章がしだいに書けるようになっていくということだ。それを「目を鍛える」というフレーズに凝縮しているのはさすがである。短歌や俳句でいう「写生」の精神と同じだ。それは、時代や社会や人間をみつめる人たちへの共通のアドバイスである。

「わたし」というタイトルの第5章のエッセイが面白い。

  • 「面白がりイムズ」を標榜している。「世の中、なにがつまらないかって、つまらいことをつまらないと思ってやることほど、つまらないことはない」。
  • 「一日24時間を、仕事も遊びもパブリックもプライベートも臨機応変に織りまぜて、自分のものとして好きなように使っているのだ」
  • 「シゴトやタチバを利用乱用して、自分の好きな人と好きなことをして遊ぶのが、いまの私流、「広告批評」流である」

こういった島森編集長の言葉を読むと、30代後半から40代以降、同世代の各界の優れたビジネスマンたちとよく遊んだことを思い出す。彼らは、運輸、メーカー、洋酒、インフラ、新聞、出版、放送などの分野の俊才たちだった。みな公私混同すれすれの「公私混合」で生きる人たちだった。臨機応変、仕事と立場を乱用して、毎日を面白がっていた。仕事で乗っているときはそういう感覚なのだ。

夜中の赤鉛筆

夜中の赤鉛筆

  • 作者:島森 路子
  • 発売日: 1994/07/15
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)