

上は:白い曼殊沙華と赤い曼殊沙華。
下:後姿探検隊。


16時半:大相撲千秋楽は横綱決戦。本割で豊昇龍、決定戦で大の里の勝利という最高の結果となった。若隆景の大関とりが失敗したのは残念。琴桜は豊昇龍を破るなど復調の気配をみせたがケガで休場したのも残念。
18時:BS大河ドラマ「べらぼう」。蔦重らと松平定信の戦い。
18時45分:BSで「広重ぶるう」の1回目。歴史上では大胆な構図の北斎と高い叙情性の風景画の広重は並び立っている。その広重の生涯と画業を描く番組。安藤広重、画名は歌川広重。13歳で定火消同心の家督を継ぐ。15歳で歌川に入門、27歳家督を譲り画業に専念。「ベロ藍」を駆使した風景画で一気に人気絵師となる。
北斎より37歳年下の広重は61歳で没している。一方の北斎は90歳というから、広重の死を北斎は知っていることになる。広重は腕はいいが、何を描いても北斎や同門で同年の国芳の2番煎じとなる。何を描くか、テーマを何にするか。それが第1回の主題だった。
山形県天童の広重美術館や、東京でのいくつかの広重展で絵をみてきたが、この3回をみて、藤沢周平の作風と似ているといわれる「人間・広重」を深くべらぼう」知ることにしたい。
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「名言との対話」9月28日 猪熊功「なにごとも初めが大切です」
猪熊功(いのくま・いさお、1938年2月4日−2001年9月28日)は、日本の柔道家である。享年63。
信じられないことだが、猪熊は幼少期は病弱だった。転機となったのは富田常雄の長編小説『姿三四郎』である。主人公の三四郎は小柄ながら俊敏で、得意技の豪快な「山嵐」で大男を倒していく。その三四郎のようになりたい一心で柔道に励んだ。猪熊は生来の「負けん気」で稽古に立ち向かった。
高校生になると体も丈夫になり、3年生のときには神奈川県高校大会で優勝する。進学先の東京教育大学(現・筑波大学)では全日本学生選手権を制して日本一となった。身長173cmという小柄な体でのチャンピオンは史上初だった。そして世界一のタイトルも獲得する。1964年の東京オリンピックでは重量級で金メダルを取った。
1965年の世界選手権では、東京オリンピック無差別級で神永昭を破ったオランダのアントン・ヘーシンクとの対戦を熱望したが、ヘーシンクが途中で引退し、夢の対戦はかなわなかった。この大会で猪熊は無差別級を制し、「もう戦う相手はいなくなった」として27歳で引退した。
所属していた警視庁を退職後、東海大学を母体とする東海建設の専務として実務家としても活躍する。その間、監督に佐藤宣践を招き、山下泰裕をスカウトするなどして東海大学柔道部を日本有数の強豪校に育て上げた立役者である。東海大学の松前重義学長に心酔し、国際柔道連盟会長となった松前の会長秘書を8年間務め、段位認定制度や中国連盟の復帰などに手腕を発揮した。のちに社長となった東海建設の業績不振の責任を取って、社長室で自刃した。
神永と猪熊のライバル関係は大きな話題となり、私もどちらが無差別級に出るのだろうかと気を揉んだことを思い出す。「柔よく剛を制す」を体現した国民的ヒーロー・猪熊は、柔道漫画『YAWARA!』の主人公・柔の祖父「猪熊滋悟郎」のモデルでもある。 猪熊功は専門書の出版にも積極的で、柔道の普及に努めた。
今回、『少年柔道入門』を手にしてみた。冒頭で猪熊は少年読者に向けて「なにごとも初めが大切です」と語りかける。柔道衣の着方、準備体操・整理体操、基本動作といった「基本編」から始まり、写真やイラストを多用して技術だけでなく精神力や体力づくりも身につくよう工夫されている。初めが大切──とくにスポーツではそうだ。ゴルフをしているとき、私もいつもこの言葉を思い出すが、思い出すのが遅かった。
