「後姿探検隊 in 鎌倉」初日。
ヨガ教教室をおえて、妻と一緒に長男夫婦と孫娘に会いに鎌倉へ。
鎌倉の海。
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「名言との対話」10月4日。篠遠喜彦「楽園考古学」
篠遠喜彦(しのとお よしひこ、Yosihiko H. Sinoto、1924年9月3日-2017年10月4日)は、ハワイ州ホノルルのバーニス・P・ビショップ博物館に籍を置いた日本人の人類学者・考古学者である。享年93。
同博物館を拠点に、半世紀以上にわたってポリネシアを中心とする人類史の謎に挑んだ。
自由学園学園長の高橋和也は追悼特集で、次のように紹介している。
「自由学園男子部時代、学園内の縄文遺跡の発掘に取り組んだことから考古学研究に目覚めます。中学3年生の頃には、鉄の棒を地面に差し込んで土器や石器を探す荒業を編み出し、実際いくつかの土器を掘り出したとのこと。卒業研究では校内出土の黒曜石と他遺跡のものとを顕微鏡観察によって比較し、研究雑誌にも取り上げられます。卒業後は華北農事試験所、日本考古学研究所を経てハワイ大学で人類学・考古学を学び、のちに北海道大学で理学博士号を取得。ビショップ博物館を拠点に、ハワイ諸島、ニュージーランド、イースター島で囲まれる太平洋の三角地帯=ポリネシア諸島の調査研究に力を注ぎ、太平洋・ポリネシア考古学を切り拓かれました」
国立民族学博物館友の会機関紙『季刊 民族学』第169号(2019年)でも、「オセアニア考古学の挑戦―篠遠喜彦の足跡から―」と題した特集が組まれている。篠遠はハワイ諸島やフランス領ポリネシアをはじめ、太平洋全域に及ぶ人類学的探検調査で知られる。1962年には「ハワイ諸島における釣針の編年及びこれとポリネシアにおける釣針の発達との関係」により北海道大学から理学博士を授与された。1995年に勲五等双光旭日章、1996年に吉川英治文化賞、2000年にタヒチ・ヌイ勲章シュヴァリエ章を受章している。
ハワイ・ビショップ博物館を基地に四十年間、ポリネシアの熱帯考古学に携わってきたドクター・シノト。そのタヒチ、マルケサスなど知られざる熱帯の島々をめぐる探検について、博物学者・荒俣宏が聞き書きしたのが『楽園考古学』である。
巻末の「タオテ・シノトからの手紙」では、「自分の進む道を目標をもって実行に移す」ための二つのヒントが示される。第一は「求めれば与えられる」ということ、第二は「人生には自分が予期せぬことから思わぬ方向に道が開けることもある」ということだ。アメリカ留学の途上、ハワイ島の遺跡発掘に参加したことをきっかけに、そのままビショップ博物館で研究生活に入った経緯は、まさにその実例であろう。楽園考古学者ドクター・シノトは、生涯をかけて追い求めた楽園を発見したのだろうか。