五木寛之は「対談」の名手だ。すでに相手は2000人を超えている。
- 私にとって「対談」は仕事ではない。いや、仕事ではあるが、そこには仕事をこえた大切なものがある。
- それは言葉で人と語るということだ。言葉だけではない。表情や、動作や、発声などのすべてが言葉以上のものを物語るのである。
- 作家として自立して以来、私は対談の機会があれば一度もそれを拒むことがなかった。
- 対談の場は、私にとって学校のようなものだった。おおげさに言えば、私は対談を通じて作家になった、という感じさえする。
-
対談、対話とひと口で言っても、それぞれのシーンは芝居の場面のようにちがう。私はそれらの人びととの出会いを、きのうのことのように憶えている。
-
この対談集シリーズは、私にとって小説以上に大切な個人的な思い出がぎっしりつまった魔法の箱なのだ。
- モハメド・アリ「余は如何にしてボクサーとなりしか」
- 村上春樹「言の世界と葉の世界」
- 美空ひばり「よろこびの歌、かなしみの歌」
- 長嶋茂雄「直感とは単なる閃きではない」
- ミック・ジャガー「ぼくはル・カレが好き」
- キース・リチャーズ「男と女のあいだには」
- 唐十郎、赤塚不二夫「やぶにらみ知的生活」
- 篠山紀信「“大衆性”こそ写真の生命」
- 山田詠美「女の感覚、男の感覚」
- 坂本龍一「終わりの季節に」
- 瀬戸内寂聴「京都、そして愛と死」
- 福山雅治「クルマ・音楽・他力」
- 太地喜和子「男殺し役者地獄」
- 埴谷雄高「不合理ゆえに吾信ず」
- フランソワーズ・サガン 倦怠と孤独の作家の対談(1978年)
- 三宅一生 女と男がクロスオーバーする時がきた!(1977年)
- 石原慎太郎 「自力」か「他力」か(1999年)
- 大島渚 日本映画の活路を求めて(1976年)
- 林真理子 捨てない生き方(2022年)
- 横尾忠則 生涯現役をめざして(2019年)
- いしだあゆみ いま、「大人の時代」幕開けのとき(1987年)
- 野坂昭如 若者へのぼくら二人の訣別宣言(1971年)
- 北方謙三 決別と流転のブルース(2013年)
- 岩下志麻 誇り高き女のエロチシズム(1971年)
- 阿佐田哲也 賭博的人生論(1978年)
- 内田裕也 男はロックで勝負する(1976年)
- 荒木経惟 接触写真家との接触(1973年)
- 大原麗子 昔は耐える女、今は自立する女(1982年)
- 松本清張 ドキュメンタリーの源泉〔抄録〕(1976年)
ーーーーーーーーーーーー
スイミング:600m
ーーーーーーーーーーーーー
「名言との対話」10月7日。和田誠「長男に唱と名前をつけたら歌手になった。次男に率と名付けたら、数学が得意な子になった。やっぱり、何かあるよね」
和田誠(わだ まこと、1936年〈昭和11年〉4月10日—2019年〈令和元年〉10月7日)は、日本のイラストレーター、グラフィックデザイナー、エッセイスト、映画監督。妻は料理愛好家・シャンソン歌手の平野レミ。享年83。
行きつけの世田谷文学館で「和田誠展――書物と映画」を2011年に見た。名前を聞いてもピンとこないかもしれないが、丸谷才一や井上ひさしなどの著書の表紙の絵を描いている人と言えば、イメージが湧くかもしれない。その丸谷才一が、「イラストレーター、装幀家、デザイナー、似顔絵画家、漫画家、エッチング画家、エッセイスト、映画監督」と挙げて、さらにインタビューや対談もうまい、パロディスト、俳人、作曲家……と並べながら、むしろ「できないものは何か」と言いたくなるようなエッセイを書いている。それほどの多彩な才人だった。装幀の仕事としては、丸谷才一の本の一連の独特の絵を見て、ああそうか、この絵を描いている人かと納得した。井上ひさし、村上春樹、谷川俊太郎などの本の装幀も、この人が多数手がけている。
著作の欄を見ると、1960年から間断なく本が出ている。1936年生まれだから、24歳からだ。2011年までの著作数を数えると188冊だった。それ以降、2018年までに著書はさらに18冊積み上がっているから、200冊を超えている。以下は、2011年までの業績を挙げてみる。
映像作品は、1957年、21歳のときのテレビCMのアニメーションに始まり、NHK「みんなのうた」のアニメーションなど計35本。
音楽は、1964年(28歳)から、映画やラジオ、テレビ、ミュージカルなど計30件。
個展・グループ展は、1965年の「ペルソナ展」を皮切りに計55回。
2011年の時点でも仕事のペースは落ちず、むしろ後半になるにつれて尻上がりに増えている感じもある。
丸谷は、日本デザイン史の三大デザイナーとして歌麿、竹久夢二、和田誠を挙げ、「この天才的な三人を持つことは、われわれの文化史の花やかな光栄と言っていいでせう」とまで言っている。
世田谷文学館で買った『5・7・5交遊録』(和田誠)を読むと、人柄の面白さと、それゆえに友人が多い愛すべき人物像が見えてくる。登場する友人たちを挙げてみよう。横尾忠則、篠山紀信、立木義浩、永六輔、小沢昭一、黒柳徹子、渥美清、植草甚一、草森紳一、小松左京、野坂昭如、寺山修司、色川武大(阿佐田哲也)、角川春樹など。40年以上続く「話の特集」句会。メンバーは、黒柳徹子、中山千夏、下重暁子、山本直純、中村八大、色川武大、吉行淳之介、吉行和子、小室等、山本容子、南伸坊、横尾忠則、妹尾河童、中村桂子、阿川佐和子、佐藤充彦、小田島雄志、井上ひさし、俵万智、三谷幸喜など。
小沢昭一の俳号は「変哲」、永六輔は「並木橋」、吉永小百合は「鬼百合」、渥美清は「風天」、田村セツ子は「パル子」、岸田今日子は「眠女」、黒柳徹子は「桜蘭」、中山千夏は「線香」、山本直純は「笑髭」など。「青リンゴ点となって海に落ちた」(並木橋)、「妖怪のふりして並ぶ冬木立」(眠女)。人に宛てて俳句を詠むのも面白い。「梅雨空に『悲槍』流れくれゆけり」(岩城宏之宛)、「国語辞典版新しき夜長かな」(井上ひさし宛)。
和田誠の句をいくつか。『月冴ゆる大河に小舟出しにけり』『朝粥に汗ばむ街の広東語』『「もう春」と弾みて淹れし紅茶かな』『戒名を拒否せし父に夏花摘む』『早世の友想ひけり帰り花』。この人は、人生を謳歌した人だ。
読書界の巨人・谷沢永一は渡部昇一との対談で、和田誠『お楽しみはこれからだ』を読むことを勧めている。
2020年4月4日の日経新聞では、「長男に唱と名前をつけたら歌手になった。次男に率と名付けたら、数学が得意な子になった。やっぱり、何かあるよね」と語ったと紹介されている。確かに、人は名前のとおりの人になることがある。政治学者の朝河貫一は一筋の道を歩いた。羽田孜首相の「孜」という名前は、孜々としてひたすら励むという意味。そのとおりの人柄だった。政治家の田川誠一は誠実な人であった。パイオニアの創業者・松本望は、いつも一筋の希望を持ち続けていられた。川喜多長政は、歴史好きの父がアジアに飛躍するようにと山田長政から取り、その名のとおりに「映画」をテーマに世界に雄飛した。小説家の大西巨人(おおにし きょじん)は、その名のとおりの巨人になった。日清食品の安藤百福も、人に幸せを与えるようにと命名され、チキンラーメンやカップヌードルを世に出した。
筆名、四股名、芸名、俳号なども面白い。大鵬と命名された力士は、不世出の大横綱になった。尊敬する先達の名前を自分につけるケースも多い。谷啓はダニー・ケイ、江戸川乱歩はエドガー・アラン・ポー、久石譲はクインシー・ジョーンズ、花登筐はバーナード・ショー。和田誠の観察のとおり、「名前」には、やはり何かある。