「書評」の新しい方法論を試行中。

書評を依頼された『インドの奇跡 マルチ鈴木 不可能への挑戦』(日本経済新聞出版社)をkindleで読了。いい機会なので、「書評」の新しい方法論を試行中。

インドという存在(眼差し)。悪条件の塊(非効率)。カースト。インディラ・ガンディー首相。国民車構想というビジョン(戦略と戦術)。国営企業と民間企業の合弁(中国の場合)。インド式経営(イン僑)。現地化方針と日本的品質管理。鈴木新社長の挑戦と現地の危機感。尊敬と信頼の太い絆。技術と品質と人材。生産と営業とサービス。問題解決の連続。ハイブリッド経営。現地側からみた日本的経営。問いと学び。自動車産業の勃興(日本人の美質)。世界第3位の自動車王国。不可能を可能に変えた奇跡の革命。産業資本主義(製造業)。日本的経営の再発見(日本的経営の盛衰)。インド躍進の鍵。追われる立場という未体験ゾーン(トヨタの本音)。

ーーー

明日の知研読書会の準備のための連絡。思わぬ遺漏に対処。

ーーーーーーーーーーーーーーーー

「名言との対話」12月17日。南博「日本人学」

南 博(みなみ ひろし、1914年7月23日 - 2001年12月17日)は、日本社会心理学者。享年87。

医師であった父親の希望により医師を志すが、激務に恐れをなし東京帝国大学医学部を中退。京都帝国大学文学部哲学科卒。1943年にアメリカのコーネル大学で博士号を取得。終戦後帰国し日本女子大学教授。一橋大学教授。成城大学教授。

アメリ社会心理学を日本に導入し、国民性から大衆文化まで様々な社会現象の背景にある心理を解き明かし「日本人論」ブームをリードした人。また、伝統芸能や映画、テレビ番組においても幅広く活躍した。フラストレーションの訳語に欲求不満という言葉をあてた。この言葉は当時話題になり、今では普通名詞になっている。

父から「勉強しすぎて死んだ奴はいない」と教えを受けたといわれ、勉強も仕事にも熱心で、生涯無休だった。亡くなる直前まで口述筆記で著書を遺した。

南博の言葉ーー「忙しくて時間がない」 と言う人がいる。けれども、時間は「ある」とか 「ない」とかの問題ではない。時間は自分で「作るか」「作らないか」 の工夫一つである。 

大学のゼミ出身者は、高野悦子加藤秀俊、辰野和男、山本コウタロウ、杉山隆男石原慎太郎、太田弘子、など実に多彩であり、学生を尊重した自由な指導方針が垣間見える。

その一人の岩波ホール総支配人として活躍した高野悦子は、日本女子大に入学し、指導教授の南博から与えられた課題「映画の分析調査」を行った縁で東宝株式会社文芸部で仕事をする。撮影所に配置転換を願い出るが許可されない。1958年、28歳でパリの映画大学イデックに入学する。最優秀で卒業し、映画監督とプロデューサーの資格を取得する。帰国後、映画監督になりたかったが、当時の映画界では女性監督は無理で、脚本や演出の道を歩んでいった。

南博の日本人について書かれた軽い書物は今まで何冊か読んでいる。1994年に80歳で集大成として書いた『日本人論―明治から今日まで』(岩波書店は、代表的著作500点を総覧した大著だ。千数百点にのぼる国民性に関する論著の中から,代表的だと考えるものを選び、明治期80強、大正期約30、昭和戦前期約100、占領期30強、現代(一)約70、現代(二)約130点について歴史的に位置づけ、簡潔な紹介が付されている。日本人の生活・文化・心理についてさまざまな角度から考察した。日本人の自意識の近代史である。この本は手に入れなくてはならない。

「日本人ほど自らの国民性を論じることを好む国民は他にない」という名言は、頭に残っていたが、これは「日本人学」の構築をライフワークとした南博の言葉だったのだ。 大文明の影響下に長くあったという条件のもとで、学びの達人である辺境の日本文明が鏡にうつる自らの姿をためすがえす眺めているうちに身につけた性格だろう。南博は私の同志でもあることを発見した。

日本人論―明治から今日まで (岩波現代文庫)

日本人論―明治から今日まで (岩波現代文庫)