寺島実郎の「世界を知る力」(12月)ーー円安。日中。新しい公共。生身の人間。作品。

寺島実郎の「世界を知る力」12月。

  • 日本経済の正念場:日米金利差は段階的縮小で解消に。しかし「円安」は止まらない。日本への信頼の揺らぎ。財政規律への不安。長期金利の高騰、金(炭鉱のカナリア)への回帰。円安の本質は輸入インフレ。円安・株高への傾斜で大丈夫か。債務残高はGDP対比237%。」
  • 大丈夫論:個人金融資産2230兆円。中古資産92兆円。企業の内部留保181.6兆円。国の純資産533兆円。(合計で3000兆円規模)。この資産は過去の親や先輩の築いた資産。現在の我々のつくった付加価値ではない。
  • 日中の緊張:日米中のトライアングルのバイオリズムを確認。アメリカのアジア政策の2つの空白期。①ペリー来航から米西戦争の勝利でフィリピン、ハワイへ。この間は45年間。日本の日清戦争勝利による登場と同時期で中国をめぐる日米の対立へ。②中国での共産中国の成立から国家承認まで30年間の空白。この僥倖により日本の戦後復興、成長が実現。1980年代から90年代は、日本脅威論、米中蜜月時代。2010年代になって、オバマ、トランプ時代に中国脅威論で反中。中国を選ぶか、日本を選ぶかの繰り返し。
  • 日米安保ビンの蓋論。日本軍国主義復活の保険。トランプもG2論へ。トランプは習との会談後に高市首相に「自制してくれ」と電話あり。
  • 日中3原則を提唱:①台湾問題不介入。②戦略的互恵関係を深める。③共同して世界秩序へ貢献。
  • 日本の民主主義:おかませ民主主義。国に依存しない民主主義。私生活主義への傾斜。「新しい公共」を社会工学的政策で。みんなで支える。①若者の社会参画ー徴兵制のない幸せな国。就職前の1年間に国際貢献、看護、介護、地域などに参加する緩やかな義務。②高齢者の社会参画ー就労率を25%から30%へ。カセギからツトメへ。③企業の社会貢献の新次元へー利益がアップ、自社株買い(16兆円)の一部をファンドにして公共プロジェクトに立ち向かう。
  • 文献とフィールドワーク:生身の人間と触れ合う時間を大切に。課題解決に立ち向かう。作品に集約してきた。

 

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「名言との対話」12月24日。安野光雅「私は薬で命をながらえることより、絵を描いて命を充実させることをおすすめしている」

安野光雅(あんの みつまさ、1926年3月20日-2020年12月24日)は、日本の画家、装幀家、絵本作家である。享年94。

テレビ東京で『新・美の巨人たち』を放送していた。命日近くの追悼特集なのだろう。取り上げられていたのは、ライフワークである『天使の旅』全9巻の物語である。小舟で旅に出る旅人。名画の世界——ゴッホ、ミレーなど——を巡る。独特の構図、遠近感のない平等な描き方。「天使たちの視線」とも言うべき、人々を見下ろす角度が特徴的だ。本城直季(写真家)との比較も興味深かった。日本の場面では、東日本大震災で残った一本杉も描かれている。「数学」の話題では、小学校教員時代に数学者・藤原正彦が教え子であったこと、編集者の松田哲夫も同様であったことが紹介されていた。森毅との対談風景も印象的で、「自分の目で見て考える」姿勢が貫かれている。福音館書店からは遺作となった『なぞなぞ』も出版されている。

島根県津和野町出身の安野は、工業高校を卒業後、小学校教員となり、23歳で上京。三鷹市武蔵野市で教壇に立ちながら勉強を続け、35歳で画家として独立した。42歳のとき、『ふしぎなえ』(福音館書店)で絵本作家としてデビューする。安野の絵には、津和野出身であることが色濃く影響しているという説が多い。本人も「絵を志すようになったスタートラインは津和野だったと言うほかありません」と、半ば認めている。

代表作には『ふしぎなえ』『ABCの本』『天動説の絵本』『旅の絵本』『繪本 平家物語』『繪本 三國志』、さらに司馬遼太郎の紀行『街道をゆく』の挿画などがある。

その業績により、ブルックリン美術館賞(アメリカ)、ケイト・グリナウェイ賞特別賞(イギリス)、BIBゴールデンアップル賞(チェコスロバキア)、国際アンデルセン賞画家賞、紫綬褒章、第56回菊池寛賞など、国内外の数々の賞を受賞した。文化功労者でもある。

安野光雅美術館は、2001年3月20日、津和野町名誉町民である安野光雅の75歳の誕生日に、故郷・津和野町の駅前に開館した。収蔵作品は4000点を超える。さらに2017年6月23日には、京都府京丹後市に、安藤忠雄設計による「和久傳ノ森 森の中の家 安野光雅館」が開館している。私は2022年、この素晴らしい美術館を訪れ、安野光雅を偲んだ。

私は安野光雅の企画展には何度も足を運んでいる。この画家の絵は、原風景を穏やかで淡い色遣いで描き、観る者の心を和ませてくれる。ファンが多いのもよく理解できる。日本の風景では、笛吹川小景、富士川身延山大菩薩峠桂川、山村初秋、笛吹川錦秋、笛吹川晩秋などが印象に残る。イタリアの風景では、トスカーナの小さな村、バルベリーニ広場、ヴェネツィアフィレンツェへの道、ローマなどが描かれている。

『絵本 歌の旅』『絵のある人生』『絵の教室』などを読んできたが、安野のエッセイはとりわけ巧みである。自然や物事を見る目が鋭い。『絵本 歌の旅』では、「早春賦」「朧月夜」「荒城の月」「牧場の朝」「からたちの花」「城ヶ島の雨」「琵琶湖周航の歌」「山小屋の灯」「あかとんぼ」「椰子の実」「たき火」「ふじの山」「仰げば尊し」「ふるさと」など、懐かしい童謡・唱歌を題材に、温かなエッセイが並ぶ。
「大人になってふりかえれば、その歌詞の意味を読み取ろうとするが、缶を開けて出てくる歌は、軍歌だろうと恋歌だろうと、歌詞の意味はあまり問わない。」

「ただでくれると言われたら、どれにする?」と自分に問いかけてみると、自分なりの目が育ってくるのだという。知人から、美術館では「自分の家に飾るとしたらどれか」を考えて観るとよいと教えられたことがあるが、同じ発想である。

『絵の教室』の「はじめに」には、「自分で考える」という一文がある。どの分野でも、とにかく「受け売りでなければいい」と語っている点に強く共感する。
「『絵が好き』という感性は、好奇心、注意力、想像力、そして創造力となり、枝分かれして物理学、生物学、医学へと変化しているのではなかろうか」
「絵というものは、どうもイマジネーションというノウハウのない世界に力点が置かれているのではないかと思えてきたのです」

本書ではゴッホにも触れられている。日本の浮世絵には線があるが、フランス絵画には線がないと、彼は驚く。日本では「線で描く」、西洋では「面で描く」と説明されることが多く、そこには日本側の自虐的な見方もあるが、相手の視点からはむしろ優れた手法として映るという指摘は示唆的だ。

「絵を描くとき、自分の意志というより、頭の中に誰かがいて、私の感性を左右するらしく……」
「創造性は、想像すること、つまりイマジネーションから始まります。そしてそれは疑う力とセットになっている」

安野は、創造力は子ども時代の豊かな体験に根差していると考え、日本の美しい自然を描き、残すことを使命と感じていたように思う。

安野光雅は、観察力・記憶力・調査力に優れた画家である。絵だけでなく文章もうまく、エッセイも秀逸だ。幼少期の記憶を細部まで描写できるのは、優れた観察力ゆえだろう。また、徹底して調べる人でもある。イメージだけで描くのではなく、具体性を要する分野に挑み続けた画家である。『絵本』というジャンルで『平家物語』『三国志』『ガリバー』などの古典を表現しようとした点は、人形師や漫画家など、独自の表現技術を獲得した者が辿る道にも通じる。

『絵のある自伝』には次のような言葉がある。
「その旧跡を訪ねれば、昔の時間も帰ってくるとは考えられぬが……そこに立てば、なにほどかの感慨は湧き起こるのである。……地霊というものがあって、それが私に感慨や情景をもたらすのだ」
「ほとんどの人物は、差し引きゼロという感じになっている」

『絵本 平家物語』では、平家が昇殿を許された天承元年(1131年)から、清盛の栄華の極み、「平家にあらずば人にあらず」と言われた時代を経て、平氏の滅亡までが、巧みな文章と絵で描かれる。講談社学術文庫平家物語』(全12巻・杉本圭三郎訳注)を基に、79の場面と143の文章が配列されている。俊寛僧都の鬼界ヶ島への流罪巴御前那須与一義経の活躍と最期——まさに大叙事詩である。

安野は旧跡を訪ね、過去の時間を探す。その場に立つことで湧き上がる感慨を「地霊」と呼ぶ。絵本という表現は、物語の核心を視覚化し、文章と相まって迫真性を高める。日本の古典のみならず、世界の古典をも、絵本という方法で再解釈しようとした画家であった。

「私は薬で命をながらえることより、絵を描いて命を充実させることをおすすめしている」。
「私は絵を描きながら死にたい。描きながら死にたい」と語り、その言葉どおりに亡くなったセザンヌを思い出す。安野光雅の人生観には、深く共感を覚える。