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すみだ北斎美術館「「北斎の帰還」展

すみだ北斎美術館

 2016年11月に葛飾北斎の生誕地・亀沢に誕生した新しい美術館。

「街に開き、地域住民の方々に親しまれる、成長する美術館」がコンセプトだ。公園と一体となり、左右に分かれた奇抜なデザインの4階建ての美術館。

テーマは「北斎とすみだ」。4階の常設展示室、4階と3階の企画展示室。1階の講座室ではワークショップ、イベント、講座、講演会を行えるスペース。外国人も立ち寄る東京の名所になっていくのではないか。

さて、開館記念展は「北斎の帰還」で、幻の絵巻きと名品コレクションだ。

「当時現在広益諸家人名録」が掲示されており、北斎のところを見ると、居所不定となっていた。生涯で93回の引っ越しをした北斎らしい。北斎は耳と鼻が大きかった。

北斎の辞世は「人魂で行きさんじや夏のはら」。

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今回の展示の目玉は「隅田川両岸景色図巻」である。幻の絵巻といわれているように、7メートルを超える最長サイズの肉筆画だ。両国橋から吾妻橋、三谷掘、木母寺あたりまでの隅田川両岸のみずみずしい風景と新吉原における男女の遊興の様子は見応がある。確かに名品だ。北斎46歳ごろの作品である。

1892年(明治25年)までは衆議院議員北斎肉筆画収集家の本間耕曹(山形酒田の本間家出身(1841-1909)が所有していた。11月に上野で開催された「古代浮世絵展」に出品された。その直後にフランスで活躍した美術貿易商・林忠正(1853-1906)の手に渡った。1902年に今競売にかけられた。

2008年にロンドンで開催されたオークションで106年ぶりに姿を現し、墨田区が所得したものである。富嶽三十六景もいいが、この作品は名所と江戸時代の人々の生活風景がわかり、とてもいい。

滝沢(曲亭)馬琴が編著で葛飾北斎が画を描いたのが「椿説弓張月」である。28巻29冊の長編大作である。前編、後編、続編、拾遺、残編の5編で、前編・後編は源為朝の活躍を描き、以後は為朝伝説の一つである琉球王国の再建がテーマの物語だ。

北斎と同時代の滝沢馬琴北斎とはいざこざが絶えなかった。しかし北斎が中風で倒れた時、突然現れて「葛飾北斎、いつまで養生しておるつもりぞっ」と噴くように言った。この敵の言葉に「養生はもう、飽いた」と絵筆をとった。この場面も見せ場だ。
この後、70を越えて、代表作「富嶽三十六景」に取り組み、大評判をとる。このシーンは朝井まかて「眩」(新潮社)では印象的なシーンだ。

 

明治神宮

本多静六博士が主導した明治神宮の森を眺めながら、お参り。

明治天皇を祀る明治神宮1920年に鎮座祭を行った。神宮の森は、150年後の完成に向けてスタートしたのである。自然による遷移を繰り返し、2070年頃に完成を迎える、という壮大なプロジェクトだった。神宮林は明治天皇への郷愁であり、感謝である。己の為すべきことを全うした人を神にお戻ししようという営為である。祈りの森である。

「いまだ未熟なる日本林学ではあるけれど、無理な所に立派な神宮を造り上げて進ぜましょう」「何としてでも、我々の手で天然に負けぬ人工林を造り出さねばならんのだ。でなければ今後林学は不要の学問として政府に排除されかねんぞ。日本の林学がまた、世界に後(おく)れを取る」。本多静六は、己の為すべきことを成し遂げた人であった。明治天皇は君主として生きた。昭和天皇は君主と象徴の人生を生きた。現在の天皇は象徴の役割を果たしてきた。現在の天皇の生前退位の問題がクローズアップされているが、「天皇とは誰か」「象徴とは何か」という誰もが考えなくてはならないテーマが浮き上がってきたようだ。

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「名言との対話」1月4日。夢野久作

「五十、七十、百まで生きても、アッという間の一生涯だよ。何が何やらわからんまんまに。会うて別れて生まれて死に行く。」

夢野 久作(ゆめの きゅうさく、1889年明治22年)1月4日 - 1936年昭和11年)3月11日)は、日本禅僧陸軍少尉郵便局長、小説家詩人SF作家探偵小説家幻想文学作家。日本探偵小説三大奇書の一つに数えられる畢生の奇書『ドグラ・マグラ』をはじめ、怪奇色と幻想性の色濃い作風で名高い。父は玄洋社系の国家主義者の大物、杉山茂丸

彼の作品を読んだ父親が「夢の久作が書いたごたる小説じゃねー」と評し、それを使って夢野久作というペンネームにした。「夢の久作」とは九州では「夢ばかり見る変人」の意味である。

一人の人物が話し言葉で事件の顛末を語る独白形式と、書簡をそのまま地の文として羅列し作品とする書簡形式という独特の文体を用いた。

アッという間、夢、幻、このように一生を懐古するする人は多い。その間に経験することは、年齢も、出会いも、すべてが初めてのことだから、うまくたちまわることはなかなかできない。生まれて死ぬ間は、会って別れての連続であるという夢野久作の感慨には共感を覚える。いつだれとどのような場所で出会うか。人の運命は出会いによって変わることは確かだ。