朝、多摩キャンパス(学部授業「東京都議選))。午後、湘南キャンパス(教育内容説明会)。夜、品川キャンパス(大学院授業「東京都議選))。

 「副学長日誌・志塾の風」170623

  • 朝、多摩キャンパスで授業:本日のテーマは「東京都議会選挙」。告示日の新聞朝刊の各党の代表メッセージを図解する演習。政治意識に目覚めていく様子がみえる。
  • 午後、湘南キャンパスで高校の進路指導の先生方に向けた教育内容説明会。私は冒頭に30分の基調講演「大学改革の『多摩大モデル』」。以下、経営情報学部については杉田学部長、グローバルスタディーズ学部については安田学部長、入試については太田入試委員長が説明。写真は杉田学部長。

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  • 夜、品川キャンパスで大学院授業。テーマは「東京都議会選挙」。

以下、受講生の感想。「他人事から自分事へ」

・都議選の図解の冒頭、図解をした人は皆、投票に行くと言われ、本当か?と半信半疑でしたが今回はその威力も感じることができました。 図解は外からくる情報を咀嚼し自分なりの解釈で再構成する作業であり、そのプロセスを踏むことで他人事から自分事へ移行する機能も有する。単に物事を整理し理解を深めるだけではなく主体的に関わって実践的な行動を促す効果があることも実感しました。

・都議選各政党の図解作業。まずは各政党の主張や政策、議席数から、それぞれの力関係や位置関係を明確にすることを心掛けました。ただ、それだけでは考えがまだ浅く、築地豊洲問題や子育て対策、環境対策等の切り口による自分なりの分析が必要であることに気が付きました。もう1歩踏み込んだ自分なりの切り口で考えることで、さらに理解が深まるということを実感しました。ただ、各政党、政策はどれも同じような内容になってしまう事実、、そんな中、多摩地域に力を入れる政党、カラーを感じます。都議選に向けてもう一度熟考し、投票に行きたいと思います。

都議会議員選挙の各政党の争点がよく分かったと思います。特に自民党が個別の政策を論じずに政党批判と政治姿勢を争点としているなら、国政の影響が大きく都民にとっては迷惑な話だと思う。棟方さんがおっしゃた様に自民党が低投票率による組織票での議席獲得を狙っているとしたら、本当に都民はたまったものではないと思います。

・本日は都議選を図解。各党の現状の力関係や選挙戦に向けた主張を整理しました。自分が都民だったらどこに入れるか?の視点で見ていきましたが、国政が混ざってきている印象が強く、そもそも都民に向けたメッセージが無かったり、とりあえず子育て支援を挙げておくような感じがあり、争点と都民の生活に距離があり、党の単位ではなかなか選びにくいなと感じました。秋に川崎市長選があるようなので、そこでも図解の視点で候補者の主張や背景を整理して見たいと思います。市長選であればより生活に密着した主張が前面に出てくると思いますが、投票の意思決定ポイントになるのは実現性ですかね。どれだけ素晴らしい施策でも実現しなきゃ生活は変わらないので。その点も気にして見て行こうと思います。

・都議選告示の本日, 都民でない私は初めて, 図解を通し8政党の戦略や論点を知りました。+αで拾い上げた情報にかえって惑わされ, 各政党の紙面上配置や関連性表記が他学生とずれましたが, 公約の一部を能動的に知る良い機会となりました。前川さんの非公開会見の図解を試みたかった...(呟き)講義終わりに先生の著書『偉人の命日 〜366名言集〜』が紹介され, 私の誕生日は吉本隆明さん。おまけ: クラスメイトは3月生まれが多いようです。

・講義ありがとうございました。都議選の理解が深まり、断然投票しようと思いました。

・本日は欠席し、申し訳ありませんでした。自宅そばにある昨日まで空白だった掲示板には、今朝になると一斉にポスターが貼られているのが見え、候補者の名前を連呼する声がやかましく聞こえ、選挙戦が始まるのを感じました。今までの選挙は恥ずかしながら何となくここかな〜と漠然と考えたり、あるいは消去法で投票しておりました。今回は明確な理由を考えて投票に出向こうと思います。

 

「名言との対話」6月23日。成瀬仁蔵「聴くことを多くし、語ることを少なくし、行うことをに力を注ぐべし」

 成瀬 仁蔵(なるせ じんぞう、1858年8月2日安政5年6月23日) - 1919年大正8年)3月4日)は、明治から大正のキリスト教牧師プロテスタント)であり、日本における女子高等教育の開拓者の1人であり、日本女子大学日本女子大学校)の創設者として知られる。

「女子教育」という著作によって多くの賛同者を得る。そして影響力のある大物をこの事業に引き入れている。 伊藤博文西園寺公望大隈重信渋沢栄一大倉喜八郎嘉納治五郎伊沢修二、、、、、。同時期に津田梅子の女子英学塾、吉岡弥生の東京女子医学校、成瀬の日本女子大と同時期に女子の高等教育機関が設立されている。前二つは小規模であったが、日本女子大は、1901年に家政、国文、英文の3学部と付属高校という陣容で合計288名の大規模な学校として出発している。

「何か天下のことをしたい」「何か、国家的の事をしなくてはならぬ」

「吾が天職、教員にあらず、牧師にあらず、社会改良者なり、女子教導者なり、父母の相談相手也、創業者なり。、、」

「我目的は吾天職を終わるにあり。吾天職は婦人を高め徳に進ませ力と知識練達を予へアイデアルホームを造らせ人情を敦し、、、、理想的社会を造るにあり」

 29歳新潟女学校校長、36歳梅花女学校校長。42歳日本女子大学校初代校長。成瀬は女子教育一筋の人生を全うしている。護国寺日本女子大成瀬記念館でみた「女子高等教育構想」という成瀬のつくった図が興味深い。家政学科・医学科・宗教学科とあるが、中核は人格教育であった。
後継者であり同志であった麻生正蔵の履歴朗読はこの人の全生涯の生き方をあますところなく語っている。「常に唯光明を見希望を見、、暗黒を見ず絶望を見ず前路を見て退路を見ず。、、、」

行うことは少なく、語ること多く、聴くことはしない。そういう人にはなりたくないものだ。大学の創設者・成瀬仁蔵のこの言葉を肝に命じたい。