学部「立志人物伝」と、大学院「立志人物論」

「副学長日誌・志塾の風」171020

多摩

・客員の久米先生と情報交換「LINE@。超会社力。熱中小学校、、。

・「立志人物伝」の授業5回目。本日のテーマは「友」。

・事務局との定例会議:川手課長、水嶋課長、杉田学部長と1時間半の意見交換。

・杉田学部長と情報交換

 

 

品川

・滝川課長:研究開発機構評議員会の事前打ち合わせ

・「立志人物論」の授業:18時半から21時40分。以下、感想。

・久恒先生、本日もありがとうございました。文学作品も含めて古典や過去のものに興味がなかった私も、久恒先生の講義を受けるうちにどんどん興味が湧いていることを実感します。また、結婚と妻の出産後、諸々苦戦している私にとっては(お恥ずかしい話ですが)、川端康成の結婚の眼を読んでみたいです(課題図書が多くなかなか追いつけませんが)。三島由紀夫の嫉妬こそ生きる力だという言葉も新たな発見でした。何故ならば嫉妬は人間の醜い感情だと私は思っていたからです。しかし、ライバルに対して嫉妬という感情は切っても切れない関係であるならば、そこから湧き上がる力は大きなものであるでしょう。

・みなさん、お疲れ様でした。本日の感想です。三島由紀夫のエッセイ「気狂いピエロ」。ジャンポール・ベルモントを思い出したのは私くらいか?物語はみなさんご存知の通り。奇しくも、本編では本日出てきた作家らと同様に、自らの人生を自らの手で終結させる。その理由は数多あれど、根底にはそれぞれの内心に潜む「美学」があるのではないか?そんな風に思えてならない。その行動が美学に基づいたものだったとしたら、彼等は「入定」したのではないか?特に三島由紀夫切腹は、実は切腹と言う行為を通して入定を強くイメージしたのかもしれない。そして、永遠の「生」を獲得したのである。こんな見解を、西田幾多郎鈴木大拙にぶつけてみたら、彼らは何と答えるのだろうか?偉人の見解を聴いてみたいものである。本日も、大変面白い時間をありがとうございました。

・昔の偉人からも学べるように, 切磋琢磨する友人, 一目置くライバル, 従事する分野の師を持つほうが, 己が人生 実りあるものになると改めて感じる。今夜の私のヒーローは, 三島由紀夫氏。若輩である私は, 文学作品以外あまり彼を知らないが, 物事の考え方や洞察力, 先見の明, 残した名言「嫉妬こそ生きる力である」に共感を覚えたからだ。数年前まで両親(民×官)が共働きだったこともあり, 幼少〜青年期の私を育ててくれた祖父母がよく口にした「若い時の苦労は買ってでもせよ」, その人生をとりわけ民間外資時代は歩んできた。グループ企業内外の政治問題に疲弊しただけでなく, アラブ革命の混乱期にあっては命を二度失いかけたこともあるが, 公私において優れた同志や学友への羨望の念は, 私のバイタリティを強くしたであろう, と振り返っていた。研究補助をする現職場は, また別の意味で嫉妬をおぼえる。

三島由紀夫のエッセイを昔読んで印象に残ったこと。<気狂いピエロ>というのがあり、ピエロは職業としてお客を喜ばし笑わすのを仕事としています。たとえ自分が悲しいことがあって心では泣いていても、顔では笑ってお客を笑わせる。それがプロの仕事だと書いてありました。岡本太郎は、よっぽどの自信家であったと思います。自信がなければあのような大胆なことはできなかったと思いました。私は仕事に完璧、完成はなく常に勉強し経験しよりよいものにする過程であると思い普段から謙虚になって実行しています。今日も有益なフルーツフルな授業ありがとうございました。

・本日もありがとうございました。本日の講義で最も印象に残った人物は岡本太郎でした。私自身、芸術には全く興味がなく、また芸術家と呼ばれる方たちは一般人とは違う独特の感性や人間性があるため、なかなか真似をしようとしたり、生き方を参考にするという発想がありませんでした。しかし、本日の講義で岡本太郎という人物について学ぶなかで本当に立派な言葉を残していることをはじめて知りました。特に「調和はぶつかり合った後に生まれるもの」という言葉が印象に残りました。私たちの業界では会議や研修のたびに医療と介護の連携をよくしよう、お互いを理解しようという言葉が出てきます。一見耳障りのいい言葉ですが、実際はお互い本音の議論は行われず、ただ表面的な付き合いをしているだけだと常日頃から感じていました。だからこそこの岡本太郎の言葉が印象に残りましたし、いつも本音でぶつかり合えるような関係を地域の関係機関とも築いていきたいと思いました。また次回もよろしくお願いいたします。

・ 岡本太郎に対して印象が深いです。「他人が笑おうが笑うまいが、自分の歌を歌えばいいんだよ」という言葉が今私読んでいる本に似っている。本はアシモフの『神々自身』です。第2部の主人公は未知のことに好奇心を持つ、行動も他の人と違うので、いつも弄られます。最初はよく泣くが、最後は気にせず、岡本太郎が言うような感じになります。自分は正しいかどうか、自分はどんな道を選ぶか、自分にしか決められません。先生が「文学者の自殺が多い」と言いました。最初、私は「このような天才が世界の真実を見極めて、能力に限りがあり、作品だけ他のことはできません。失望、絶望など世界に対して、自分に対して嫌な気持ちが生み出す、そして自殺しました。」と思いますが、授業の最後のディスカッションで、他人から「天才の美学かもしれない、人生の頂点に永遠に止まりたい」と言う見解もあります。本当に偉人に直接聞きたい。

・今回は、印象に残った人は岡本太郎志賀直哉です。岡本太郎は「他人が笑おうが笑うまいが、自分の歌を歌えばいいんだよ。」という言葉があります。実は、私は高校生の頃、周りの目線を極めて気にする人でした。従って、あの時、自分の考え方や本音などをはっきりと吐けなくて、様々なこともできなかった。大学に進学した後、親友に影響されて、ますます他人の目線を無視して、自分の考え方通り、自分の生活をすることが好きになりました。どんどん新たで様々な可能性が出てきました。ですから、この言葉を読んだ時、共感を捉えるみたいです。(留学生)
志賀直哉の映像を見せてくれて、感想が大変出てきました。「自分に才能を与えてくれるなら、寿命を縮めていい。才能を与えられるなら、悪魔に身を売ってる」という話を聞いた時、本当に泣きたいぐらい感動します。自分自身が感情的な人です。また、最近の生活、うまくいかなくて、もう我慢できないことが起こったから、その言葉を聞いて、新たな道を発現するみたいで、治される感じです。誰でも、何のために、(相手が家族でも、親友でも、好きなことでも、好きな人でも)自分の全てを出してもいい時があると思います。志賀直哉が書きへの情感は私を感心させます。私達も同じじゃないですか。自分の熱情を出して、その上、日本の諺の「石の上にも三年」が言った通りやれば、いいんじゃないですか。(留学生)

 

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「名言との対話」10月20日。河上肇「人はパンのみに生きるものに非ず、されどまたパンなくして人は生きるものに非ず」

河上 肇(かわかみ はじめ、1879年10月20日 - 1946年1月30日)は、日本の経済学者 

美術人名辞典では「経済学者・社会思想家。山口県生。東大卒。ヨーロッパに留学中法学博士号を受け、帰国後京大教授となる。またマルクス主義の研究と紹介に努め、青年層に多大の影響を及ぼした。のち大山郁夫らと実践運動に入り新労農党を結成したが、理論的誤りを認め大山らと別れた。獄中生活の後、自叙伝等の執筆に専念した。昭和21年(1946)歿、68才」と人生を総括されているが、よく調べると河上肇の心の軌跡が滲んでいない感じがする。この人の人生こそ、波瀾万丈だった。

故郷の山口県岩国から上京し東京帝大に入学するが、東京における貧富の差にショックを受ける。足尾鉱毒事件の演説会で感激し、その場で外套、羽織、襟巻きを寄付し話題になる。帝大卒業後は経済学によって人々の幸福に貢献しようと考える。京都帝大教授時代に書いた『貧乏物語』がベストセラーになる。河上のマルクス主義解釈の批判を受けてそれを認める自己批判を行い発憤して『資本論』などの翻訳をすすめる。京都帝大を辞職し労働農民党の結成に参加するが、批判し決別。その後、共産党に入党。1933年に治安維持法違反で検挙され、獄中で転向を発表。出所後は『自叙伝』を執筆。終戦後、活動への復帰を予定したが体調不良のため果たせなかった。戒名は天心院精進日肇居士だった。日々の精進と名文家であった河上肇の人柄を彷彿とさせる。
1907年には沖縄における舌禍事件があった。河上は沖縄の独自性を発揮せよとの論陣を張ったが、日本本土との画一化を志向する当時の沖縄のリーダーたちには響かなかった。
人道主義的情熱が強く感激グセのあった河上肇の人生は傾倒と批判と自己批判の連続であり、紆余曲折とアップダウンがまことに激しいが、「貧乏」を無くそうという志は一貫していたことがうかがえる。その思想遍歴の支えは、宗教的真理を信じることと社会科学としてのマルクス主義であった。河上自身も「辿りつつふりかへりみれば山川を越えては越えてきつるものかな」という歌を詠んでいる。
『貧乏物語』では石川啄木の「働けど働けどわが暮らし楽にならず、じっと手を見る」を引用し格差社会の改革を貧困側から描き、格差を解消すべきとした。冒頭の「人はパンのみに生きるものに非ず」は広く人口に膾炙したが、続く「されどまたパンなくして人は生きるものに非ず」との対であったことを忘れてはならない。人の世のこの真実を念頭に生きていかねばならない。