東京ステーションギャラリー「イザベラ・バード展」--イギリス人女性旅行家の先駆者が旅した明治初期の日本

東京ステーションギャラリーで開催中の「TRAIN SUITE 四季島」運行開始1周年企画「イザベラ・バード展」。

140年前の明治初期にイギリス人女性旅行家の先駆者イザベラ・バードが周遊した東日本・北海道の各地を四季島の運行ルートと結んで、日本の原風景を探訪する旅へ誘う展示だ。

イザベラ・バード(1831-1904年)は、英国ヨークシャー生まれ。1871年明治11年)に初来日。6がつから約3ヶ月間にわたり東京から、日光、会津、山形、秋田、青森、函館、室蘭、平取まで旅をした。東京に戻り、同年10月からは関西、伊勢神宮を旅した。徒歩以外には、人力車、馬、船を交通手段とした。1880年に『日本の未踏の地--蝦夷の先住民および日光東照宮伊勢神宮訪問を含む内地紀行の報告』として英国で出版されている。文章と挿絵による詳細な旅の記録は、明治初期の日本を汁貴重な記録となった。

バードの旅のスタイルはヴィクトリア朝のファッションと日本の服装を組みあわせ折衷スタイルだった。外套スカート、編み上げブーツ、蓑、鉢型の笠。荷物は50キロ。旅行行李2個。

支援した人物は、パークス公使(1828-1885)。ヘボン博士(1815-1911)。

日光カッテージ・イン(金谷ホテルの前身)。伊藤鶴吉(1858-1912)は通訳・案内人・料理人。

新潟「最も整然とした最も清潔な」

山形・米澤盆地「アジアのアルカディア桃源郷)である。盆地はまさにエデンの園である。日本の農作物の種類の多さに驚き」。

青森黒石:ねぷた祭り。

函館:アイヌ。顔の形といい表情といい、これほど美しい顔は見たことがないように思った。その表情には気品があり悲しげで、、、優しさと知的な感じもあった」。アイヌの小屋に3日間泊まった。

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本日の昼食は、GINZA PLACEの「ビストロ・マルクス」で、弟と妹夫妻と。

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昼食後は、慶応義塾大学図書館と慶応アーツカレッジで開催中の「釈宗演と近代日本」展。詳細は別途。

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「名言との対話」。6月12日。木村次郎右衛門「責任の重さみたいなのを痛感している。1日でも長く元気でありたい」

木村 次郎右衛門(きむら じろうえもん1897年明治30年4月19日 - 2013年(平成25年)6月12日)は、京都府京丹後市に在住していた長寿男性である。

2012年平成24年12月17日より死去するまで存命人物のうち世界最高齢であった。また、同年12月28日にはクリスチャン・モーテンセンの115歳252日の記録を抜いて、死去した人物も含めた年齢が検証済みの歴代最高齢記録の男性となった。116歳。

20歳から65歳までの45年間、郵便局に勤めた。90歳頃までは農業に従事していた。晩年は孫の妻との2人暮らしで、毎日午前5時半に起床し、午後8時に就寝する生活を送った。朝はヨーグルトサツマイモ梅干しを食し、夜は牛乳を飲むことを習慣としていた。好き嫌いはなく、食べる量も自分で決めていた。

2013年6月の時点で7人の子(5人が存命)、さらに孫が14人、ひ孫25人、玄孫が15人いた。新聞は天眼鏡を使いながら1から2時間、長いときには3時間かけて読む。愛読紙2紙は、朝日新聞赤旗だった。テレビは「時代についていけないようではいけない。」と国会中継や大相撲を欠かさず視聴した。

2012年10月16日には、ギネス・ワールド・レコーズの編集長クレイグ・グレンディが京丹後市の自宅を訪れ、ギネス世界記録の認定証を手渡している。

「食べ物に好き嫌いはない。食細くして命長かれ」「苦にするな嵐のあとに日和あり」「楽しみは、毎日が楽しみです。ありがたい世の中に生を受けまして、本当に感無量の至りでございます」「てんとうさまのお恵みのたまもの。毎日、空を仰いでいますから、サンキュー」

以上を総合すると、この人の長生きの秘訣は、体を使う農業、規則正しい生活、旺盛な好奇心、細い食の習慣、感謝の精神、、、などか。この人の肩書きに「長寿者」という肩書きがついているにのはびっくりした。生まれたのは19世紀の明治、15歳で明治が終わり、大正、昭和、そして終戦が48歳。それから戦後、平成、21世紀と生きぬく。存命人物のうち日本最高齢の男性になったとき、、冒頭に掲げた言葉を語っている。抜群の長寿者には長生きせねばならないという責任が生ずるのであろう。