上野の森美術館の「フェルメール展」。仕事始め。

上野の森美術館の「フェルメール展」。

ヨハネス・フェルメール(1632-1675年)。17世紀オランダという黄金時代の芸術の最高峰。暮らしぶりと文化。この世に生まれたなかで最高の画家。庶民の日常や家庭の情景を描いた傑出した写実描写。43年の人生。わずか35点の作品。メイドの存在。穏やかな人物。仕事に没頭。年2点のペース。写真と見まがう描写。ささいな逸話。光は常に左側から。19世紀第三四半期に再発見。節度を知る。地図。不動の静謐さ。透視図法。

「牛乳を注ぐ女」など、「真珠の首飾りの女」ワイングラス」「取り持ち女」「赤い帽子の娘」「マルタとマリアの家のキリスト」「恋文」「手紙を書く婦人と召使い」「手紙を書く女」「リュート調弦する女」という傑作10点をみた。

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全作品リスト。

「ディアンナとニンフたち」「マルタとマリアの家のキリスト」「取り持ち女」「眠る女」「士官と笑う娘」「窓辺で手紙を読む女」「小路」「ワイングラスを持つ女」「中断された音楽の稽古」「牛乳を注ぐ女「音楽の稽古」「デルフトの眺望」「ワイングラス」「水差しを持つ女」「リュート調弦する女」「真珠の首飾りの女」「青衣の女」「天秤を持つ女」「手紙を書く女」「真珠の首飾りの少女」「合奏」「赤い帽子の娘」「少女」「婦人と召使い」「絵画芸術「天文学者」「地理学者」「レースを編む女」

「恋文」「手紙を書く婦人と召使い」「ヴァージナルの前に立つ女」「信仰の寓意」「ヴァージナルの前に座る女」「ギターを弾く女」「ヴァージナルの前に座る女」「聖プラクセディス」「フルートを持つ娘」。

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仕事始め。

・研究室:近藤秘書とスケジュール調整。明日以降の日程の仕掛け。出版関係。

・ラウンジ:杉田・金・趙先生と近況交換。

・役員室:学長の年頭方針(始まる前に挨拶。激励を受ける)

平成と並走した30年。創立時「ITxグローバル化」。寺島「アジアダイナミズムと地域密着」。現在OBは学部8043人・大学院805人計8848人。知の再武装。三層構造の知の再武装が必要。18歳若者(団塊の半分・3分の一へ)。40-50代(バブル崩壊。社会状況の変化。人生100年時代)。60歳代(定年後40年。80歳でも7割は健常者。ブラッシュアップ)。こういった状況をカバーする大学へ。一層「今、ここ、私」、常温社会、不満なし不安あり、成功モデルが不明、結晶性知能(課題解決力)、学生と教員の質の相関、多様性、質に踏みこむ。二層:OBのDB。ネットワーク化。知の再武装の受け皿。社会人教育のプラットフォーム。社会人大学院。大学院「社会的投資研究所(ソーシャルキャピタル、インベストメント、金融ジェロントロジー認知症・休眠資金の活用)、ルール形成戦略研究所(スポーツも)の存在。社会科学をやっているとい緊張感。30年の実績に自信をもって、進化、実体化させていく。それが結束力へ、志を誘発する。

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「名言との対話」1月7日。宇野精一「『平成』は平和な時代だけれども、その平和は実は武器のおかげで、そしてこれまで国のために命を捨てた人々のおかげで保たれているのです」

 宇野 精一(うの せいいち、1910年明治43年12月5日 - 2008年〈平成20年〉1月7日)は、日本儒学者国語学者東京大学名誉教授尚絅大学名誉学長。國語問題協議會名誉会長、斯文会理事長。日本会議顧問。

宇野は儒教思想を軸とした古代中国経書学研究を進める傍ら、国語国字問題などに関する評論活動でも知られる。GHQの主導で行われた戦後の国語改革に一貫して反対する立場をとり、戦前の漢字・仮名づかいの活用を呼びかけた。「昭和」に代わる新元号の考案を政府から委嘱されていたことで有名な学者である。

敗戦とともに元号制度は風前の灯火となり慣習法上の地位として残っていたが、ようやく1979年(昭和54年)の大平内閣時代に元号法が成立する。この法はたった2条しかない。「元号政令で決める」と「元号皇位の継承があった場合に限りあらためる」である。2条は継承の後に改めるという意味だから、事前に発表することはできないという考えもあり、国民生活の安定とのギリギリの妥協点として4月1日に発表することになったのであろう。

昭和最後の内閣となった竹下内閣ではひそかに 宇野精一坂本太郎、諸橋徹二、安岡正篤の4人の碩学元号についての検討を依頼しているが、途中で亡くなった人もあり、最終的に、東大の宇野精一名誉教授(中国哲学)、九大の目加田誠名誉教授(中国文学)、東大の山本達郎名誉教授(東洋史)に考案を依頼した。宇野が「正化」、目加田が「修文」、山本が「平成」を第一候補人あげた。「平成」は陽明学者の安岡正篤が考案し政府に提出したが、安岡氏の死後、山本が再提出したという報道がある。平成とは、書経の「地平らかにして天なる 内平らかにして外なる」からとった言葉である。後に竹下登総理が講演の中で「安岡さんの案」として紹介したことがある。しかし政府の担当者は否定している。真相はわからないが、平成の次の元号をめぐる報道の中で明らかになるかもしれない。

論語研究の第一人者である宇野精一晴夫「平成」の意味については以下のように述べている。 「平成の「平」は辞書では「干(かん)」部の漢字です。「干」とは盾(たて)の意味があります。また、「成」は「戈(か)」の部の漢字です。「戈(か)」は鉾(ほこ)の意味です。つまり平成という元号の中には「干戈(かんか)」がある。干戈とは、武器や戦という意味です。「平成」は平和な時代だけれども、その平和は実は武器のおかげで、そしてこれまで国のために命を捨てた人々のおかげで保たれているのです」

元号」は西暦との関係で煩わしいからやめよという意見もあるが、国民全体の考えにはならないだろう。「元号」の決定に参加できるということは滅多にないことだが、97歳まで生きた宇野精一は、最初から最後までこの大イベントにかかわった碩学である。平成を終えようとしている今、「地平らかにして天なる 内平らかにして外なる」時代は、日本は戦争に巻き込まれなかったという意味では、その通りになった。この平和は武器と命を捨てた人々によって成り立つとした宇野精一の解説には考えさせられる。