「ちけんエディトリアルミーティング」の初回は、『日英2か国語の 将棋えほん』を出版した斎藤三笑さんのミニセミナー。15人ほどのメンバーが参集し、楽しい会となった。斎藤さんは新宿育ち。高校時代にアメリカ留学。上智大学の比較文化を卒業し、駿台予備校で講師。
外国人とのコミュニケーションに最適。将棋の漢字が難しいので色を使って駒を区別。絵本は息が長い商品。女性が購入しプレゼントに使う。新宿区の外人の割合は12%。
日英2カ国語の将棋えほん―漢字が読めなくても将棋ができる! (コミュニティ・ブックス)
- 作者: 斉藤三笑
- 出版社/メーカー: 日本地域社会研究所
- 発売日: 2019/04/01
- メディア: 大型本
- この商品を含むブログを見る
外国人が理解できるようにしたきめ細かい工夫が素晴らしい。様々の囲碁の世界でも『椅子がこわい』を書いた夏樹静子が開発した、目に優しいグリーンの石も同じ路線だ。インバウンドが多くなっている今日、外国人とのコミュニケーションが大きな課題。囲碁や将棋の世界も国際化や健康などの問題解決のための革新に向かっている。
自己紹介、30分のミニ講座、そして懇親会と続く。帰りに、根岸さんと力丸君と中華。
始まる前に「知研東京」の幹事会:1月までのセミナーの講師ラインナップ。小酒井正和、山本冬彦、富田秀夫、八木哲郎、、。
ーーーーーーーーーーーーーーー
午前:大学
午後:フリー編集者の小島さんと懇談。本の企画(アラハン・女性)とコラボ。荻窪の地研で社長と懇談。知研岡山の黒川さんの新著『新時代の石門心学』ができていた。黒川さんと電話で報告。HP、税理士、、、、。
ーーーーーーーーーーーーー
「名言との対話」6月17日。出門英「ロザンナ。おまえひとりで子供たちを育てていかなくちゃならないかもしれないから、大人になれよ」
出門 英(でもん ひで、1942年12月15日 - 1990年6月17日)は、日本の歌手、作曲家、俳優。
ロザンナ『天国の夫へ 13年目のラブレター』を読んで、ロザンナからみたヒデという男のことがよくわかった。ロザンナのヒデ観は「夢があって、気風がよくて、情にもろくて、家庭的」だ。
1968年のヒデとロザンナのデビュー曲「愛の奇跡」のサビの部分に「アモーレ、アモーレ ミーオ」とロザンナに叫ばせたのはヒデの発案だった。この歌のサビはよく覚えている。
ヒデには作曲の才能もあった。小柳ルミ子「星の砂」(作詞は関口宏)「ないてないて まぶしい サンゴの島が にじんでおちて 星の砂」、森昌子「彼岸花」(作詞は阿久悠)「嫁入り話の 出る秋には 女は顔を 女は顏を そむけます」、などはヒデ作曲の作品だ。また俳優としての仕事も「必殺!仕事人シリーズ。映画「東京上空いらっしゃいませ」「光る女」などでも活躍していた。ヒデは多方面に才能があった。
この本ではヒデが8つ年下のロザンナに語った言葉が散りばめられている。「いいかロザンナ。人間、大事なのは夢を持つこと。しかも一つじゃだめなんだ。必ず二つ」「俺たち、上がっていくだけじゃないか。幸せなことだよ」「チャンスはその時を逃したた最後、二度とはやってこない」、、、、。
親友をガンで亡くし、ガン撲滅のためにチャリティのゴルフコンペを意欲的に続けていたヒデは、奇しくも結腸ガンで1990年に死去する。享年47。貯金もない、収入もない、保険の給付金もない。そして3人の子供たちが残った。ロザンナは、テレビ朝日「モーニングショー」のキャスターで芸能界に復帰し、子供たちを育て上げる。14歳だった長男は音楽家・画家の士門(しもん)。12歳だった次男はミュージシャンの来門(らいもん)。8歳だった長女はモデルの万梨音(まりおん)。
「ロザンナ。おまえひとりで子供たちを育てていかなくちゃならないかもしれないから、大人になれよ」は、ガン告知をせずに、知らなかったはずのヒデがロザンナに語った言葉だ。ヒデは知っていたのだ。二人の生涯はまさに「愛の奇跡」の物語だ。