開高健記念文庫(杉並区井荻)から新宿中村屋へのカリーツアー。

11時半から、ギリークラブ(渡辺幸弘)主宰の「開高健記念文庫」訪問ツアーに参加。1野村総研集英社、歌舞伎ソムリエ、サントリー、JALデジタルエクスペリエンス、桜ゴルフ、、、、など5人ほど。

西武新宿線で杉並区の井荻駅芥川賞受賞後の1958年からここに居を構えた。茅ケ崎の記念館は仕事場として使っていたもので、後から妻と娘が引っ越してきた。全著作、初出誌類、関連書籍・雑誌類、蔵書、原稿、写真・画像、愛用・愛蔵品などがある。

公益財団法人の理事・事務局長の森敬子さんから声をかけられる。30数年間にTBSブリタニカから出した『実戦マニュアル知的生産の技術』の担当編集者だった方で驚いた。平日は井荻、週末は茅ケ崎で世話を焼いている。森さんはTBSブリタニカで開高ルームを担当する開高番だった。

野田先生と一緒にアメリカに行ったという永山理事長「研究者、愛好家のための文庫。今年は没後30年、来年は生誕90周年。9月5日に集英社から『開高健のパリ』を出版。大人の絵本『ユトリロ』」。集英社の大浦編集長「開高健ノンフィクション賞」。9月から「開高健 The Year」として盛り上げていく。9月20日に新聞広告「The Year」。10月12日、茅ケ崎で展覧会。

2011年11月にオープン。土地と建物は妻の牧洋子の妹から公益財団開高健記念文庫への寄付。原稿コピー、ファイル、本、ライター、ツアーなどいのグッズを販売中。

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以下、私のブログから。

開高健と同時代にサントリーで活躍した山口瞳柳原良平佐治敬三などの記念館やファンクラブなどと一緒に「開高健 TheYear」を盛り上げるのも一つのアイデアだ。各場所をまわるツアーなどもいい。開高健記念館。開高健記念文庫、横浜みなと博物館内に常設展示室「柳原良平アートミュージアムファンクラブ「山口瞳の会」。大阪大学中之島センター 10階 佐治敬三メモリアルホール。、、、。

見学会終了後、新宿中村屋開高健が好んだカレーを食べながら歓談。銀座木村屋のアンパンと新宿中村屋のクリームパンの相互不可侵の話、、、。

インド人の革命運動家チャンドラ・ボース1897年1月23日 - 1945年8月18)は、日本の大アジア主義者を頼って日本にきた。遠山満、犬養毅らと交流。日英同盟を結んでいた日本は国外追放命令を出すが、1915年12月1日から4か月、中村屋相馬愛蔵・黒光夫妻が「アトリエ」にかくまった。ボースは遠山満の世話で娘のとし子と結婚している。インド独立を目指し、地球規模で活躍したチャンドラ・ボースについて調べたい。
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中村屋は92年間、ボースの愛したチキンカリーのみで商売をしてきた。このたび、ビーフを使ったベンンゴールカリーを出すことにした。そのカリーを出してもらった。ベンゴールはボースの生まれた村。天領であった武州幸手の最高級米・白目米という幻の米。私の席の隣は中村屋の鈴木社長と森敬子さん。森敬子さんから開高健さんの日常をうかがいながら歓談した。

インド独立の英雄で、日本と深い縁のあったチャンドラ・ボース展を新宿中村屋がやると、話題になるのではないか。
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サントリーで開高番でもあった渡辺さんの主宰したツアーはさすがによく考え抜かれていて満足した。

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15時:新宿の「らんぶる」で橘川さんと打ち合わせ。「未来教育研究会」、「現代の論語」「経産省総務省」、、、、、。

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「名言との対話」7月22日。杉浦日向子お江戸でござる

杉浦 日向子(すぎうら ひなこ、本名:鈴木 順子(すずき じゅんこ)、1958年昭和33年〉11月30日 - 2005年平成17年〉7月22日)は、日本漫画家江戸風俗研究家、エッセイスト

東京都生まれ。稲垣史生に弟子入りし時代考証を学ぶ。1980年、「ガロ」で漫画家としてデビューする。1984年、『合葬』で日本漫画家協会優秀賞を受賞。1988年、『風流江戸雀』で文藝春秋漫画賞受賞。漫画作品としては、『杉浦日向子全集』(筑摩書房、全8巻『二つ枕』『合葬』『百日紅(上・下)』『東のエデン』『風流江戸雀』『百物語(上・下)』収録)などがある。

1993年に漫画家引退を宣言。ライフワークである江戸風俗研究家として活動を開始する。NHK総合テレビ『コメディー お江戸でござる』では江戸の歴史、風習についての解説コーナーを足かけ10年務めた。晩年は文筆業に専念し、『江戸へようこそ』(筑摩書房)『江戸アルキ帖』(新潮社)『ぶらり江戸学』(マドラ出版)など、多くの作品を遺した。2005年7月22日、下咽頭がんのため46歳で逝去。

杉浦日向子『憩う言葉』『粋に暮らす言葉』には、江戸っ子の生き方に惚れた言葉が並んでいる。「江戸では、頑張るは我を張る、無理を通すという否定的な意味合いで、粋じゃなかった。持って生まれた資質を見極め、浮き沈みしながらも、日々を積み重ねていくことが人生だと思っていたようです」

 また、「人間一生、物見遊山」が江戸の人生観だという。杉浦日向子のいう江戸の価値観は、庶民である江戸っ子のものだ。一生懸命は野暮で、努力をみせないのが粋という。現代人は野暮になったから、少し息を吐いて江戸っ子のように遊びながら粋な生き方をしようというのが杉浦の提案である。子ども時代は「巨人・大鵬・玉子焼き」ではなく、「可楽・柏戸・味噌おにぎり」だった、というからずっと粋の精神で生きたのだろう。山形県鶴岡の横綱柏戸記念館を訪問した時、「阪神柏戸・目玉焼き」という言葉をみつけて驚いたことがある。鶴岡の人々も粋だったのだろうか。杉浦は私生活では、博物学者荒俣宏と結婚し、後に離婚している。

コメディーお江戸でござるでは江戸の歴史、風習についての解説コーナーを担当していて、私も10年近くその博識な名解説を楽しみにしていた。漫画家はみな勉強家だ。江戸時代を中心に漫画を描いた杉浦日向子の江戸風俗に関する勉強量は半端ではないはずだ。 病気によって漫画家を引退したとき、「隠居」と説明しているのは、いかにも江戸っ子に心酔した杉浦日向子らしい。