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立志論「日本への回帰」-司馬遼太郎と梅棹忠夫。橘川幸夫さんとの新著「ロッキング・オン」に関する対談収録。

「名言との対話」12月09日。開高健

「悠々として、急げ」

開高 健(1930年12月30日 - 1989年12月9日)は、日本小説家。1930年に大坂で生まれ旧制大阪高校に入るが学制変更で大阪市立大学法学部に入学しなおす。20歳の時に処女作「印象生活」を発表。23歳、7歳年上の牧羊子と結婚。24歳、寿屋入社。26歳、コマーシャル色を排除した面白くてタメになる雑誌「洋酒天国」を創刊し編集発行人となり大ヒットする。28歳、「裸の江様」で芥川賞を受賞。寿屋を退職。その後、作家生活に入り大活躍をする。ベトナム戦争、ビアフラ戦争、中東戦争などの渦中に入り、戦争のルポは話題になった。44歳で茅ケ崎に仕事場をつくる。そして58歳の若若さで若さで倒れる。

開高はルアー一筋の釣師だった。本物の餌を使わずに、針が付いていて、動きや色、匂い、味などで、直接魚を誘うものがルアーだ。開高によれな餌釣りは老人と子供のやることだそうで、大人はルアーフィッシングに限るとのことである。それは、仕掛けをし、攻める釣りであり、知恵比べである。だから首尾よく釣った獲物は、すぐさま海、湖、川に戻してしまう。C.W.ニコルによれば、「開高さんは、ヘミングウェイみたいな人」だった。

大江健三郎と争って勝ち得た芥川賞受賞時には、「定型化をさけて、さまざまなことを、私は今後どしどしやってみたいと思っている」と語っており、実際その通りの型破りの作家となっていった。

茅ヶ崎の記念館に、開高の原稿用紙に書いた字を展示してあった。わかりやすい字だ。大型の原稿用紙。ほとんど校正の後がないきれいな原稿である。開高は出版人マグナカルタ9条も示している。1.読め 2.耳をたてろ 3.両目をあけたままで眠れ 4.右足で一歩一歩歩きつつ左足で跳べ 5.トラブルを歓迎しろ 6.遊べ  7.飲め  8.抱け。抱かれろ  9.森羅万象に多情多恨たれ 右の諸則を毎日三度、食前か食後に暗誦、服用なさるべし。自宅を訪れる出版人、編集者へのメッセージだ。

開高健全集は、22巻だから、相当な量である。20歳から58歳までの38年間、大いに書くまくった。文藝別冊「開高健 生誕80周年記念総特集」にある「開高健著作リスト」で著作数を数えてみた。単行本85冊。全集51巻。翻訳2冊。文庫87冊。合計で225冊となった。

サントリーの名コピーライターであったこの人の言葉は素敵だ。「少年の心で、大人の財布で歩きなさい」「危機と遊びが男を男にする」「朝霧の一滴にも 天と地が 映っている」などしびれる名言が多い。特に冒頭に掲げた「悠々として、急げ」は開高の生き方のようで心に響く。

 

「副学長日誌・志塾の風161209」

  • 授業2限「立志論」11回目。テーマは「日本への回帰」。司馬遼太郎梅棹忠夫を紹介。
  • 八木さん来訪:ホームページ。オトバンク。、、、
  • T-Studioで橘川さんとの対談を収録。テーマは橘川さんの近著「ロッキング・オンの時代」。
  • ラウンジで、小林先生、趙先生とゆっくり歓談。

 

  • 夜は新宿でJAL装備工場時代の同期の平元君と久しぶりの食事会。破綻時の監査役だったから大変だったらしい。互いの近況を語り合う。

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