「邪馬台」--私、母、妻

郷里・中津市の文化総合誌「邪馬台」の2012年春号(通巻182号)が届いた。季刊なので既に45年を経過したことになる。

この同人誌は、評論、評伝、詩、漢詩、旅行記、随筆、研究、短歌、川柳、俳句、創作とあらゆるジャンルの作品が184ページの量で並んでいるのは壮観である。今号には、私、母、妻の3人が出ている。

「旅行記」は、私の連載「人物記念館の旅23--大山康治」と、私の母の連載「万葉歌碑を尋ねる旅9--企救の浜」が並んでいる。

また、埋め草のエッセイ欄は、母の「豚木の歌」だ。今年の年末年始に我が家に逗留したときのことが楽しく記されていた。

いつのもように年末年始上京し、息子の家に行った。滞在中、思いがけずベートーベンの第九交響楽を聴くことができた。年末に第九を聴いたのは夫が元気な時以来だから25年ぶりだろうか。場所は多摩センターのぱるてのん。オーケストラはベテラン奏者の中に大学生、高校生がまじりファーストバイオリニストは高2の女子学生、第三楽章の時にソプラノ、アルト、テノール、バスの声楽家、合唱団の老若男女が百名くらいが席についた。指揮者は今をときめく今村能氏、動きが華麗で何べんも飛び上がった。
感動して我を忘れて聴き入ったことは言うまでもない。終了した時、長いこと同じ姿勢で腰かけていたので足がしびれて途中で足が前に進まなくなった。嫁さんがすかさず、「お母さんをオンブしてあげて!!」と叫んだ。息子の背中が前にきた。私は生まれて初めて息子の背中にしがみついた。「お母さん重たいね!」と息子。何をかくそう、私は娘時代から背は低いのに54キロ、それに寒いのでいっぱい着こんでいるからお米一俵ぐらいの重さがあったのではないだろうか。それでも息子は十何段かある階段を私を背負ってエッチラオッチラ降りた。「お父さんの腰がアブナイ!!」と叫んだのは又嫁さん。
翌朝、息子からメモを渡された。

やむをえず母を背負ひて
そのあまり重きに泣きて
三歩あゆまず
        豚木

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「短歌」欄は、「邪馬台歌壇」と言う名前で、母は選者だ。その母の選者詠。

 阿多多良山の空が本当の空といふ智恵子嘆きゐむ放射能の空
 除染効果なきヒマワリの花の咲き盛る崩壊せし建屋を遠景として
 はやぶさに襲われ放れつかたまりつリーダーのゐるやひよどりの群れ
 友のくれし三毛門南瓜(かぼちゃ)冬至まで置かむ厨の棚に
 原稿用紙の升目に一字づつ埋めてゆくそれしかできねば楽しみて書く

今は、妻も母の門下生となって短歌を始めた。私は途中で脱落してしまった。

 里帰りの電車のなかは作歌のとき横ゆれのリズムは5、7、7、7、7
 車窓よりかすかに見ゆるスカイツリー、あの右下に嫁(ゆ)きし娘(こ)が住む
 草と野菜育てし節くれの母のこの手がわれを育てし
 節電の暗がりの中浮かびいる白き山茶花われここにあり

選者評
里帰りは嬉しいもの、電車の中は作歌のときと初心者のけなげな気持ち、電車の横ゆれのリズムは、5、7、5、7、7と表現して楽しい歌。それこそ破調だが気にならない。二首目、車窓から遠く見えるスカイツリー、あの右下に嫁いだ娘が住んでいる。どうしいるのかなと母親としての気持ち。「あの右下」は作者の一位置からみて右下ではあるが、「あの西側に嫁きし娘が住む」とするとはっきりする。3、4首とも気持ちがよく出て素直な歌となっている。

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大学で。

  • 学長室ミーティング
  • ホームページ打ち合わせ(skype
  • 今泉先生といくつか相談。
  • 菅野先生と歓談。
  • 4年生の木村君来訪。

今日は往復で1時間以上歩いた。